「いいね!」がそこかしこにあふれる現代は、「褒められてナンボ!」の時代とも言えるかもしれません。褒められ慣れている若者たち。彼らを“認め、褒める”ことが仕事になっている管理職や先輩社員に、今、求められているものとは?

この時期、桜であふれ返っています。そう、ネット上も。

私の記憶に間違いがなければ、桜の季節になったからといって、花見をするだけでなく「桜の花そのものを撮影したい」と出かける人は、つい最近まではごく一部の存在だったような気がします。それこそ「趣味はカメラ。花を撮影するのが専門です」と公言するような、まさに趣味の世界でした。

しかし、イマドキの桜の名所では、花に向かってカメラを向けている人たちをたくさん見かけます。ただし、そのカメラの多くはスマートフォンですが。そこで撮影された美しい桜の写真の多くは、SNSに投稿されます。自分のタイムラインには、それこそ日本各地の桜の名所の写真があふれ返ります。出かけていないのに、すっかり花見を楽しんだ気分になったりして。

花火の季節になったら花火の写真がたくさん投稿され、祭りの季節になったら祭りの写真が、表現は大げさですが、波のように押し寄せます。気がついたら、「イベントに出かける、写真を撮影する、ソーシャルネットワークでシェアする」までがワンセットになってしまっていた、という世の中になりつつあるのかもしれません。

もちろん、そういう行為は、単なる個人的なアーカイブに過ぎないという人もいるでしょう。が、ソーシャルネットワークに投稿することによって、心のどこかで「いいね」とか「素敵ですね」と称賛されたい、と思ってしまう気持ちが芽生えても不思議ではない。そして、気軽に褒めるための仕組み(ボタンひとつで軽く褒められますから)も整っているので、余計に「頑張って褒められるぞ」なんてことを考えてしまいそうです。

アウトプットに対してポジティブなリアクションを求めてしまう。それどころか、ポジティブなリアクションを求めてアウトプットしてしまう……、そんな自分を感じることはありませんか?

認められたいという欲求が抑えられない時代になったのかも

人となるだけ関わりたくない、と思ったとしても、否応なしにネットワークされる時代です。もちろん、人のつながりが有益かつ、その方法が簡便になることのメリットがいかに大きいかは、多くの人が認めているところでしょう。しかし、そのつながりの中に身を置く必然性(ソーシャルネットワークサービスの多くはアクティブなユーザーが多くいることが、その存在価値だからということは説明するまでもないですよね)を作り出すための仕組みとしての『承認ボタン』によって、いままでよりも簡単に褒められる機会が増えた、そんな時代になっていることも事実です。

キャリアの曲がり角に差しかかっているはずの、このコラムの読者の皆さんなら思い当たるはずです。新人の頃は、あまり上司から褒められたり、認められたりすることはなかったと。だからというのは変ですが、珍しく褒められると、仕事終わりの電車の中でまで、そのシーンを頭の中で再度思い浮かべてニヤニヤした、という経験を持っている人もいるかもしれません。

しかし、今は違います。褒められることに慣れ始めている、いや、むしろ、褒められたいという気持ちを抑えることが、難しくなりつつある。正しくいうと、自らとつながりのある誰かが、いつでも、そして、どんなことでも、比較的迅速にリアクションをしてくれる時代だからこそ、無反応、もしくは極めてタイムラグの大きいリアクションには、我慢できない可能性がある。

なんて書いてしまうと「そんな大げさな話かよ」というお叱りが飛んできそうですが、承認欲求を抑えられない人が増えていると書くと、ピンとくる人もきっと多いはずです。特に、若手の部下を持つ上司ならば。

下手に褒めれば信用を失うリスクが

さて、これだけ褒められたいと考えている、少なくとも心の底でこそっと思っている人が増えている中で、皆さんはどう振る舞えばいいのでしょうか。もろちん、このコラムの読者の皆さんは、褒められたいという欲求に打ち勝ち、なおかつ、周囲の承認欲求を満たしてあげる立場の人である、という前提です。上司や先輩から、褒められたいとウズウズしている若手を満足させるために何をするべきなのか。

「単純に褒めてあげれば、そういう人は満足するんじゃないの?」という声が聞こえてきそうですが、残念ながらそうは問屋が卸しません。褒められ慣れている、いわゆる褒めインフレ(いま、私が作った言葉です)にさらされている人たちは、普通に褒めても納得はしません。むしろ「適当に言っているだけでしょう」とうがった見方をして、皆さんへの信頼を損ねてしまいます。

手間がかかりますが、褒められたいと渇望している人たちへの上手な褒め方のポイントは2つ。まずは『褒められたいと思っている点を、ピンポイントにシンプルに褒める』ことです。

「あなたでなければならない」と褒めれば納得が得られる

例えば、自分の長所に自信のあるタイプだと、その部分を日常の行動の中で、ことさら強調します。得意な仕事をやり遂げるだけだと、上司や先輩として「成長がないな」とガッカリしてしまいそうですが、ここは我慢。何度でも繰り返し「任せて安心だ」とか「さすがにすごいね」と、それこそ短い言葉でいいので褒める。褒めて欲しいとこっそり思っている部分を改めてきちんと認められて、そこを素直に褒められて、嫌な気になる人は誰もいないのです。逆に短所を克服しようとしている人は、その成果が出る出ないに関わらず、頑張っていること、つまりはプロセスを評価されたがります。もちろん「結果がすべてだ」と言いたい気持ちはわかるのですが、そこもグッと我慢。頑張っていることそのものに気が付いている、見守っている、理解していると意思表示することで、相手は認められたと安心するはず。

もう1つは『その人を、ちゃんと見て褒める』ということ。ソーシャルメディアの投稿に褒めるためのボタンが押された当初は、それ自体が喜びになりますが、日々押され続けていると、押した人たちのことを「この人は、投稿内容を細かく見ないで、誰にでもいいね!しているよね」と、承認してくれる人の評価を下げてしまうケースが少なくありません。書いていてなんだか面倒くさい世の中だなと私も思います。が、確かにそうかもしれないと、誰かの顔を思い浮かべた人も、少なくないはずです。

簡単に褒める仕組みが整ったことによって、人の褒められたい願望が抑えられなくなり、その結果“褒める技術”を高める必要が生まれた。と考えると、意外といいことなのかもしれませんね。以下のボタンから「このコラムはいいですね」と、私をカンタンに褒めることができるので、できれば、よろしくお願いします(褒められたい 笑)

サカタカツミ/クリエイティブディレクター
就職や転職、若手社会人のキャリア開発などの各種サービスやウェブサイトのプロデュース、ディレクションを、数多く&幅広く手がけている。直近は、企業の人事が持つ様々なデータと個人のスキルデータを掛け合わせることにより、その組織が持つ特性や、求める人物像を可視化、最適な配置や育成が可能になるサービスを作っている。リクルートワークス研究所『「2025年の働く」予測』プロジェクトメンバー。著書に『就職のオキテ』『会社のオキテ』(以上、翔泳社)。「人が辞めない」という視点における寄稿記事や登壇も多数。