「世界最高のファッションミュージアム」がテーマの伊勢丹新宿本店に、「カルチャーリゾート百貨店」がテーマの三越日本橋本店……、独自性豊かな百貨店を有する三越伊勢丹ホールディングスには、「特命担当」という肩書を持ち、業務に臨む人がいます。老舗百貨店で、今、“特に命じられる”仕事とは、いったいどんなものなのでしょうか。

テクノロジーの進化により、今までになかった「新しい仕事」が生まれています。この連載では、リクルートライフスタイルのアナリストであり、データサイエンティストとして活躍する原田博植さんを聞き手に迎え、新しい仕事の領域を切り開くフロントランナーにインタビューを行います。

今回お話を聞くのは、三越伊勢丹ホールディングスの特命担当部長(2016年4月の組織改編により、情報戦略本部IT戦略部IT戦略担当。以下、肩書などは取材当時のもの)、北川竜也さんです。三越として340年、伊勢丹として130年の歴史を持つ老舗百貨店のデジタル化を推進するという“特命”を持つ北川さんを、リクルートライフスタイルの原田さんは「まさに“温故知新”を体現しようとしている人」と評します。では、デジタル化が“特命”である理由とは……?

最適化された百貨店の大きな挑戦

【リクルートライフスタイル 原田博植さん(以下、原田)】「特命担当」という肩書きは珍しいですよね。社内に「特命担当」というチームがあるんでしょうか? 

北川竜也(きたがわ・たつや)さん。株式会社三越伊勢丹ホールディングス 秘書室 特命担当 部長(2016年4月の組織改編により、情報戦略本部IT戦略部IT戦略担当)。大学卒業後、国連の活動を支援するNGOで国際法廷の設立などのプロジェクトにアシスタントとして従事。日本帰国後、企業風土改革を行うスコラ・コンサルタントで主に大企業の組織活性化に携わった後、創業間もないクオンタムリープに参画。大企業の新事業創出支援やベンチャー企業支援の場作りなどの事業を担当。クオンタムリープを退社後、アレックスの創業に参画。会社の運営と併せ、Made in Japan/Made by Japaneseのハイクオリティーな商品を世界に向けて紹介・販売するEコマース事業の立ち上げと運営を行う。その後、三越伊勢丹ホールディングスに入社。現在に至る。

【三越伊勢丹ホールディングス 秘書室 特命担当 部長 北川竜也さん(以下、北川)】社内に「特命担当」の肩書きを持つ者は3人いて、私と、私の上司の久保田(佳也執行役員)と、もう1人です。担当領域は異なり、それぞれ別の仕事をしています。

【原田】なるほど。さまざまな特命があるんですね。北川さんは、「デジタル化」という領域を担当しています。なぜデジタライゼーションが「特命」という位置付けなのでしょうか?

【北川】百貨店の組織はよくできていて、これまでの事業のやり方に合わせて最適化されています。でも、デジタル化は、新しい視点ややり方が求められ、既存の部門の垣根を越え、横断的に取り組む必要があるんです。

【原田】このインタビューシリーズで、今までにない仕事の分野を切り開いている方々にお会いしてきましたが、「新しい仕事」は、部門を横断して展開することが求められるケースが多いですね。これまでお話を聞いたパルコスタートトゥデイは、「ファッションのEC化」という大きな命題に挑戦されていました。でも、老舗百貨店である三越伊勢丹のデジタル化というのは、また違った大きな挑戦のように見えます。

「何を売りたいか」ではなく「どんな関係を作りたいか」

【北川】経営的なインパクトは、おそらく「デジタル化により業務を効率化する」という面が大きいはずです。しかし、効率化ももちろん必要なのですが、それだけではありません。

例えば、新宿伊勢丹は「世界最高のファッションミュージアム」をテーマにしています。暮らし方や生き方すべてをファッションと定義するならば、百貨店は人々の暮らし方、生き方をより豊かに、格好よくする役割を担っている。テクノロジーが生活にどんどん入り込んでいるのですから、百貨店もテクノロジーを組み込むことで、どうしたら生活を豊かにできるのか、提案できなくてはなりません。すぐにお金になりそうには見えないかもしれませんが、苦しくても百貨店が取り組むべきテーマだと考えています。

原田博植(はらだ・ひろうえ)さん。株式会社リクルートライフスタイル ネットビジネス本部 アナリスト。人材事業、販促事業、EC事業にてデータベース改良とアルゴリズム開発を歴任。2015年データサイエンティスト・オブ・ザ・イヤー受賞。

【原田】三越伊勢丹のデジタル化は、単純な効率化だけではないということですね。百貨店は特に、街や店内の雰囲気が重要で、足を運んで店員さんとやりとりしながら購入するというプロセスを楽しんでいる人も多くいらっしゃいます。デジタル化によって、これら体験の部分をどうやってより魅力的にするか、ということでしょうか。

【北川】百貨店はやはり、お客様と深くつながり、店頭へ来ていただくことに大きな価値があります。来てくださる人を精神的に豊かにする場所であるべき。「どうやってモノを売るのか」だけではなく、「どれほど豊かな時間を過ごしてもらうか」が重要です。デジタル化を考える際にも、最初に考えるべきは「何を売りたいか」ではなく、「お客様とどんな関係を作りたいか」です。

テクノロジーの話に寄ってしまうと、「あれもできます、これもできます」とお客様に必要のない機能をも押しつけてしまうことが起こりがちなので、それを避けるために、本当に百貨店が提供すべき価値は何かを慎重に吟味しています。

口火を切ること、失敗に耐えることが仕事

【原田】特命担当部長になってから、たくさんの挑戦的な取り組みをされています。現時点で、それぞれの施策の手応えはいかがですか。

【北川】2015年夏には、全社キャンペーンである「2015 ISETAN IRODORISAI 彩り祭」の中で、デジタルとファッションの融合による新しいライフスタイルを提案する、ということに挑みました。デジタル技術を使って仮想的に試着ができ、その情報を共有できる姿見、3D生地プリンターによる洋服作り、人工知能(AI)を使ったコーディネート提案、ロボットやウェアラブルデバイスなどを紹介しました。この他にも、目的の売り場へご案内(ナビゲーション)をするスマートフォンアプリのローンチなど、多くの実験的な取り組みを行いました。

正直なところ、勝率は高いわけではなく、デジタルの世界とはいえ、挑戦してみないと分からないことが本当に多いことに気づきます。「やってみよう」と言うこと、失敗に耐えることが、私の仕事だと思っています。

【上】2015年8月26日~9月8日開催の「2015 ISETAN IRODORISAI 彩り祭」では、最新デジタル技術と最旬ファッションが融合した「彩りの世界」を軸に、伊勢丹新宿店全館で秋の訪れを発信した。【下】デジタル技術を活用したバーチャルフィッティング体験の様子。(画像提供:三越伊勢丹ホールディングス)

【原田】本当に大変そうですね。

【北川】大変ですが、おもしろいです。これは尊敬する先輩に教えていただき、本当にその通りだと思ったことですが、“インターネット以前”は、性別、職業、年収などで特徴を割り出し、「こんな仕事をして年収がこれくらいの女性は、こんなものをこういうタイミングで買う」などと分析していました。しかし、“インターネット以降”は、個人の中の多様性が切り分けられるようになり、マーケティングのやり方が変わりました。年収が高い人が、いつも高級レストランで食事をしているわけではありません。コンビニでおにぎりを買ったり、ファストフードを食べたりもします。性別、職業、年収などでは割り出せない、すごくマニアックな趣味を持っているかもしれない……、つまり、お客様とのコミュニケーションのあり方を考え直さなくてはならなくなったということです。

【原田】実はそれは、百貨店の得意とする「外商」の発想ですよね。ITが外商の方向に行くのは、自然な流れなのかもしれません。

【北川】その通りだと思います。ツールは変わるかもしれませんが、根底にあるのは、人の心を動かすことなので。

何百年も磨き続けてきた「商い」を未来につなぐ

【原田】昨今、私がデータ活用の施策に着手する際に特に意識しているのが、コスト削減やスピードアップなどの「効率化」を目的とする場合と、人の気持ちを動かすなど「情緒への働きかけ」を目的とする場合の目標設定の造り込みです。これをしっかりしないと、例えば好きになってほしいから送っているDM(ダイレクトメール)なのに、結果としてお客様に不快感を与えることとなり、サービスが嫌われてしまいます。このような心がけが必要になってきていること自体が、データ活用がコミュニケーションの“省力化も“リッチ化にも役割を増してきている、何よりの証拠だと思います。

【北川】最近よく、「15年後、百貨店はどうなっているか」と意見を求められるのですが、正直言って、まったく分からない。例えば10年前に、これほどスマホやLINEのようなサービスが普及するなんて想像もできませんでしたよね。

でも逆に、15年前を思い返すと、やっていることは今とそう変わらないことに気づきます。友達とおいしいご飯を食べに行ったり、仲間と週末に出かけたり、映画を見て感動したり。ただ、友達と連絡を取り合う方法や、情報を得る手段はものすごく変化しました。手段は変わっても、求めているものは同じ。ですからおそらくこれからも、そうした情緒的なところは変わらないんじゃないかと思います。

【原田】百貨店のルーツは呉服屋ですよね。まさに今で言うファッション。衣食住を超えた趣味嗜好の購買活動ですから、どの業界よりも「理屈抜きに人の気持ちが動いた時に」商いが成立するわけです。北川さんの言葉からは「百貨店への愛」を感じます。

【北川】300年以上かけて、人の心を動かす商いをしてきた会社です。それを本気で未来に残したいと思っています。これほど人の心を動かすコンテンツを持っている会社なんですから、強くできないはずはない。

私はビジネスマンなので、既にあるものをどうにかすることしかできません。ですので、0から1を作り出す人に対して憧れに近い尊敬の念を抱いています。0から1を生み出したクリエイターたちが生み出したものを持ち寄り、百貨店という舞台を通じて資本が環流され、さらに次のクリエーションが生まれる。それを考えると、百貨店の持つ可能性の素晴らしさに震えますね。こうした場を次の時代につなげて行かなくてはと、青臭く考えています。

■インタビューを終えて
北川さん、ありがとうございました。人の心が動く時、商品が動きます。そして百貨店で人の心を動かすのは、熟練の接客であったり、豪華絢爛な売り場の雰囲気だったりします。そんな百貨店の一番根っこにある目的はいつも、館(やかた)と、商品と、店員さんと、お客さんが通じ合うこと。データ活用はそのための有効な手段です。効率化して手間やリードタイムを縮めるのか、コミュニケーションをリッチにして新たな購買意欲を生み出すのか。いずれにしろ、その取り組みはとても楽しそうです。北川さん、これからいろいろな百貨店の景色を見せてくださいね。(原田博植)
原田博植(はらだ・ひろうえ)
株式会社リクルートライフスタイル ネットビジネス本部 アナリスト。2012年に株式会社リクルートへ入社。人材事業(リクナビNEXT・リクルートエージェント)、販促事業(じゃらん・ホットペッパー グルメ・ホットペッパービューティー)、EC事業(ポンパレモール)にてデータベース改良とアルゴリズム開発を歴任。2013年日本のデータサイエンス技術書 の草分け「データサイエンティスト養成読本」執筆。2014年業界団体「丸の内アナリティクス」を立ち上げ主宰。2015年データサイエン ティスト・オブ・ザ・イヤー受賞。早稲田大学創造理工学部招聘教授。