抜群に料理が上手い男の子の家にお邪魔して、おまかせでおいしい料理とお酒を振る舞ってもらう……下北沢「サーモン&トラウト」はそんな楽しさが味わえるレストランだ。自分の足で日本のあちこちへ野菜や肉を探しにいき、惚れ込んだ食材にスパイスを効かせて調理するシェフの名は森枝幹。こんな29歳がどうやってできたのか、詳しく話を聞いてきた。

下北沢と三軒茶屋の中間、代田エリアにある小さな人気レストラン、「サーモン&トラウト」。メニューはシェフに「おまかせ」のコース料理2種類のみで、7皿のコースは5000円、10皿前後のコースは8000円。決して安くはない価格帯だが、ここでしか食べられない料理を求めておいしいもの好きの人たちが集う新進の注目店だ。自分の目と足で選んだ食材に徹底的にこだわり、ここでしか食べられないような料理をつくるシェフの名は、森枝幹(もりえだ・かん)。

学生時代にバレーボール選手だった彼は、シドニーにあり世界のベストレストランの常連である名店「Tetsuya’s」で、料理人の勉強とビーチバレーという二足のわらじの日々を送った後、帰国。「自分の強みとなる技術をきちんと身につけたい」という思いで、表参道の「湖月」で3年間、和食の修行をする。その後彼が移った勤め先は、ある高級ホテルだった。

下北沢のレストラン「サーモン&トラウト」の前に立つ森枝幹さん。

店を出すのは1000万円。でも「屋台」なら200万円で出せる

東日本大震災が起こる前までの2年弱、森枝は東京・日本橋にあるホテル「マンダリンオリエンタル東京」の「タパス モラキュラーバー」というレストランで働いていた。カウンター8席のみという小さな店。コースは1万5000円で、ワインなど飲めばだいたい3万円くらいという高級店だ。

「当時最先端の分子ガストロノミー(編注:料理の過程で食材がどう変化するのかを物理的・科学的に解明し、その知識を調理に生かす新しい調理法。液体窒素やエスプーマなどを使うもので知られる)を勉強することができて、楽しかった。でもその結果、僕はそこからもう一歩素材そのものに踏み込んでいきたくなったんです。生産地に行って、実際に食材生産の現場を見て、生産者の哲学や意識に共鳴した食材を分けてもらって料理をつくる…そういう店をやりたいなと思うようになったんです」

震災直後、タパス モラキュラーバーが1週間休みになってしまったため、休みをもらって福島の被災者が避難してきている千葉の施設へボランティアに行った。

「震災で世の中の空気が大きく変わったのを感じました。自分の力で生きていかないといけない、そう強く感じて、早く独立しないと、と思いました。でも、店を始めるには1000万円以上掛かる。でも屋台なら200万円くらいで出せると聞いて、友達3人で屋台を始めました。楽しかった」

彼が屋台を開いた場所は、南青山のコミュニティ型屋台村「246COMMON」(編注:現在の名称は「COMMUNE246」)。店の運営は好調で、始めて半年経たないうちに246COMMON内の3店舗を商うようになり、3人だったチームは10人に増えた。

「群馬の篤農家(編注:熱心で研究心に富む熱心な農家のこと)の野菜をふんだんに使ったり、カンガルー肉を使ったり、自家製のフルーツシロップを使ったり……。それなりに順調だったのですが、だんだん『なんか違う』と思うようになってきて……。屋台の料理ではそうそう単価は上げられないから、思うような食材が使えないんですよ。加えて人件費のために、袋を開けてソーセージを焼く、みたいなこともしなくてはならなくなった。場所的にも人的にも無理が出てきたんです。それが不本意でした。お金は稼げたけど、実力がない自分に納得がいかなかったんです。2年経って会場の246COMMON自体がリニューアルするのに合わせて、チームは解散しました」。

「サーモン&トラウト」は最大13席と小さな店で、厨房で調理する森枝さんとカウンター越しに話しながら食事を楽しむスタイルだ。マンダリンオリエンタル東京「タパス」での経験が原点となっている。

面白いシステム、面白い店を作りたい

森枝はその後、今の場所に「サーモン&トラウト」を出店する。2014年のことだった。「シチリアでワイン造りをしていたフードライターの友達が、『自転車屋をやるから一緒にやらないか』と声をかけてくれました。代沢というエリアは“飲食店がたくさん集まっている場所”と世間に認識されていないのも、いいなあと思いました。“おしゃれなレストランの激戦地”みたいなところには出したくなかった」

サーモン&トラウトの店内。自転車が飾られているのは、自転車店を兼ねているから。

 サーモン&トラウトのオープンから1年ちょっとが経った。街ごとブームアップしていく、この店からカルチャーを発信するというのが、彼の理想だという。

「僕は厨房の中からカルチャーを発信するだけでなく、自分自身を厨房から解放したいんです。そのための面白いシステムを作りたい。今は自前のメディアとして、フードマガジンの発行を計画しています。レストランができることを、これまでにない方向に拡大していきたいんです。そういう考え方を、面白いと思ってくれる思想を共有できて、いいものを分かってくれるお客さんが集まってくれたら嬉しいなあと思っています。あっ、そういえば、春に友人が新宿のゴールデン街にレモンサワーの店を出すので、その準備も手伝っているんですよ。面白い店にしようと思って、仕掛けを作っているところです。やりたいことがいっぱいありすぎて、時間が足りない(笑)」

「サーモン&トラウト」では料理に合わせたお酒が楽しめる。お酒のセレクトはオーナーでカヴィストの柿崎さん(右)

「(自分の店は)若い人がゼロからトライ&エラーで学べるところでありたい。セントラルキッチンで8割方調理ができているものを混ぜて出すだけ、みたいな店や、作業フローの中で決まった仕事をするだけのスタッフしかいないような店は、絶対にやりたくないんです」

店名「サーモン&トラウト」の由来は?

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店内にあった唯一の“サーモン”がこれ。サケを捕まえる熊の木彫りは北海道土産の定番だが、これはサケが熊を襲っているというちょっと面白い置物。

最後に、気になっていたことを聞いてみた。「サーモン&トラウト」という店名についてだ。サーモン(サケ)やトラウト(マス)の料理が多いということなのだろうか? それにしてはサーモンもトラウトもこの店で食べたことがないけれど……

「サケの料理もマスの料理も出していないですよ! ”Salmon&Trout”というのは、イギリスで“痛風”を意味するスラングです。面白いかなと思って店名にしただけで、特に深い意味はないです(笑)」

ジャーナリストの息子らしい、反骨心の裏返し……ということなのだろうか。果てしない好奇心と行動力で、新しいレストラン像を実現すべく突き進む若きシェフ。これからも飲食に健康な革命を起こしてほしい。(終)

店へは自転車通勤。理想の女性像を尋ねると、「僕も変な人だけど、そんな僕より変な人。分からない人にひかれます。でもだから、うまくいかないことが多いのかも(笑)」
森 綾(もり・あや)
大阪府大阪市生まれ。スポーツニッポン新聞大阪本社の新聞記者を経てFM802開局時の編成・広報・宣伝のプロデュースを手がける。92年に上京して独立、女性誌を中心にルポ、エッセイ、コラムなどを多数連載。俳優、タレント、作家、アスリート、経営者など様々な分野で活躍する著名人、のべ2000人以上のインタビュー経験をもつ。著書には女性の生き方に関するものが多い。近著は『一流の女(ひと)が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など。http://moriaya.jimdo.com/

ヒダキトモコ
写真家、日本舞台写真家協会会員。幼少期を米国ボストンで過ごす。会社員を経て写真家に転身。現在各種雑誌で表紙・グラビアを撮影中。各種舞台・音楽祭のオフィシャルカメラマン、CD/DVDジャケット写真、アーティスト写真等を担当。また企業広告、ビジネスパーソンの撮影も多数。好きなたべものはお寿司。http://hidaki.weebly.com/