KDDIで女性初の役員に就任した最勝寺さんのキャリアには、何かと“女性初”がついて回る。人生のピークとどん底にはわが子の誕生が関わっていた。保育園から電話がかかるたび、ビクッとしたと言うが……。

自らの願いでできた育休の取得第1号

2014年4月にKDDIで女性初の役員に就任した最勝寺奈苗さんのキャリアは、“女性初”で彩られている。

KDDI理事 コーポレート統括本部 経営管理本部 副本部長 最勝寺奈苗さん

大学を卒業して1年間出版社で勤務した後、1988年に第二電電(現・KDDI)に一般職として入社、経営管理部に配属される。その2年後、同社初の総合職に転換することになる。

「私から望んだのではなく、上司から『転換してみないか』と勧められました。制度もまだ整っていなかったので、まずは制度をつくってもらって。そのとき面接されたのは私一人でしたね(笑)」

本人の意思とは別のところでキャリアの歯車が回り始めていた。

93年7月に出産し、同社で初めて育児休業を取得する。

「それまで育児休業の制度がなかったので、出産の数カ月前になって、会社に『つくってください』とお願いしました」

こちらは自ら扉を開いた。そして翌年4月に仕事に復帰する。

経営管理部時代は、衛星電話会社の日本イリジウムへ兼務出向して採算管理や事業計画を担当したり、DDIとKDD、IDOの3社合併にも携わった。その後、渉外・広報本部IR室長、経営管理本部財務・経理の副部長、部長を経て、役員に就任する。

最勝寺さんの失敗はキャリア中盤に集まっている。経営管理部(合併後は経営管理本部)の時代は失敗の記憶があまりないという。

電卓、ボールペンは常に携帯。エメラルドが誕生石であることもあり、エメラルドグリーンの文具が多い。

「小さな失敗はたくさんあったと思いますが忘れてしまいました。経営管理は個人の仕事に対して必ずダブルチェックするので、大事に至ることがないんですね」

ところがIR室長の時代には、ちょっとしたつまずきをたくさん経験したようだ。

「仕事では私、笑わないんです。経営管理部時代は『仕事の場面で歯を見せるな』と教えられていましたから。ところがIR室長になった途端、当時の副社長に呼ばれて『笑いが足りない。笑う練習をしなさい』と命じられました(笑)」

社内で数字に向かう仕事から一転、投資家を前に話さなければならなくなったとき、どうしてもこわばった表情になっていた。当時の副社長は、余裕をもってコミュニケーションをとりなさいと教えてくれたのだった。最勝寺さんは鏡の前で必死に笑う練習を重ねた。

株主や個人投資家を集めて行うセミナーでは、ちょっとした言葉の使い方にクレームがついた。

「『株主・投資家のみなさま』と話したら、『どうして株主にも“さま”をつけないんだ』とお叱りをいただきました」

細かいことだが、きちんと「株主のみなさま、投資家のみなさま」と言わなければいけないのだと心した。

最勝寺奈苗(さいしょうじ・ななえ)
KDDI理事 コーポレート統括本部 経営管理本部 副本部長。
1964年千葉県出身。87年同志社大学文学部卒業後、出版社勤務を経て88年第二電電(現・KDDI)入社。経営管理部、IR室長、財務・経理部長などを経て、2014年理事に就任。