エキナカ事業の立ち上げ人として有名な鎌田さん。前例がない新規事業を進めるときの根拠は「面白いから絶対うまくいく」という直観的な定性論。新天地でも新規事業の開拓力を期待される。

いくつになってもチャレンジできる

鉄道からポテトチップスへ。ずいぶん思い切った転身のように感じる。JR東日本で四半世紀のキャリアを積んだ鎌田由美子さんは2015年2月、カルビーの上級執行役員として迎えられた。

「この業界に入ったので、勉強のために今までにないくらいスナック菓子を食べています」と笑う鎌田さん。

カルビー 上級執行役員 鎌田由美子さん

もちろん、チームリーダーとして「ecute(エキュート)」などのエキナカ事業を成功に導いた手腕は誰もが評価するところだが、今度は主力事業もカルチャーもまったく異なる業界だ。

鎌田さん自身、「たぶん一生、JR東日本に勤め続けるんだろうな」と考えて仕事を続けてきたし、「48歳で初めての転職、どうなるのだろう」と不安がないわけではなかったが、「いくつになっても新しいことにチャレンジする」という思いで決心した。

カルビー・松本晃会長の、3つの言葉が心にささった。

「1つ目が世のため、人のためになること。2つ目がわくわくすること。3つ目がビジネスとしてきちんと利益が取れること。あとは食品という枠から外れなければ何をやってもいいと言われました」

鎌田さんは「これまで、誰もが賛成してくれるような仕事をしたことがない」と自身のキャリアを振り返る。エキナカ事業もそうだった。第1号は2005年3月5日にJR大宮駅(さいたま市)に開業したエキュート大宮だが、社内交渉も出店交渉も難航した。当時は「エキナカ」という言葉すらない時代。出店のお願いに出かけても「駅なんかで惣菜が売れるわけがない」などと言われ、次々と断られる有り様だった。

エキュート大宮の開業を約2カ月後に控えた04年12月27日、JR東日本の納会が開かれたその日でも、出店先の決まらない区画がまだ3カ所も残っていた。

納会が終わると、夜にもかかわらず再び出店交渉に飛び出した。当時はよく開業できない夢を見たと鎌田さんは振り返る。

名刺ケースは印傳屋のものを愛用。カルビーの商品と自分の名前が入ったスマホカバーは目を引く。

「開業日が書かれた看板の前で、テナントの社長に『ここに出店してくれるって言ったじゃないですか』と言いながら泣きそうになっているんです」

年末年始に全区画が決まったときは、どれだけ安堵(あんど)しただろう。

鉄道のカルチャーも鎌田さんを悩ませた。JR東日本だけでなく鉄道会社は「安全・安心」が一番だ。新しい駅の形をつくると言っても、すべての基本となるのは鉄道事業。たとえば百貨店なら行列ができる店は大歓迎されるが、駅構内だと「行列ができたら通行人に迷惑になるから、困る」。駅に何かが起こると当然工事はすべてがストップする。連動して、商業施設の工事はどんどん遅れていく。

「それで、出店の約束をいただいていた取引先から怒られてしまいました」

鎌田由美子
カルビー上級執行役員。1989年4月、東日本旅客鉄道入社。大手百貨店出向や駅ビル等勤務を経て、2001年より「立川駅・大宮駅プロジェクト」のリーダーとしてエキナカ事業を手掛ける。05年「ecute」を運営するJR東日本ステーションリテイリング代表取締役社長。08年より本社事業創造本部にて「地域活性化」「子育て支援」を担当。13年JR東日本研究開発センター副所長を経て、15年1月東日本旅客鉄道退社。同年2月より現職。