シリア内紛に端を発した、今年の急激な難民増加。命を守るため国を捨て難民にならざるを得ない人々の現実は、3.11の東日本大震災で、故郷を追われた人々の苦境と重なる。住み慣れた街に、いつ戻れるのか――各国を巻き込み、複雑な様相を見せるシリア難民問題について、守屋由紀さんと考える。
難民になるという辛い選択
難民が生じる理由は、地域によってさまざまです。例えばアフリカの国々の場合、部族間の衝突や、限られた資源の争奪が一因です。
南北スーダンでは、多くの部族の衝突や、主権争い、地下資源の利権争いがあり、南部の石油利権でもめ、いったん和平が成立したものの、意見が吸い上げられていなかった人たちの不満が吹き出して、全然解決に至りません。
また、コンゴ民主共和国では、コルタンという携帯電話のチップに使われるレアメタルの利権が、紛争の要因となっています。
シリアに関しては、アラブの春のうねりを受けて、アサド政権に対する市民運動が起きたことがそもそもの発端でした。最初は政権vs市民と対立構造がはっきりしていたので、比較的早く解決するのでは、と思われていました。しかし一枚岩だったはずの市民サイドにさまざまな意見を持った人たちが出現し、友好国の軍事的支援に加え、イスラミック・ステート(IS)の出現など、問題は複雑化、長期化しています。
紛争を解決して和平に向かうためには、当事者たちの対話が必須なのですが、対話の場に着かせようとしても、もはや1対1ではなく、1対100とか200とか、非現実的な状況に陥ってしまいました。紛争が勃発する理由は地域によって異なりますが、共通しているのは、長期化すればするほど問題が複雑化してしまうということです。
シリアには多くの世界遺産があり、もともと教育水準が非常に高い国でした。そして、むしろ周辺国であるイラクの難民を受け入れていた国なんです。それがまさか、自分たちが難民になるなんて。ものすごいショックでしょう。誇り高きシリア人にとって、自分たちが難民であることはかなり辛いことなのです。
長期避難生活。難民を襲う「貧困」
シリア紛争が起こったのは2011年。もう5年になります。なかなか解決に向かわず、問題は長期化するばかり。逃げ延びてきた当初は、希望を抱いていた難民の方々も、もはや避難生活に絶望感しか抱けなくなっています。
その理由の一つが、厳しい生活環境です。砂漠にあるキャンプは、樹木がないので夏場には50℃にもなるのに対し、冬は積雪があるくらい寒いんです。昨年、ヨルダンやレバノンのキャンプではすごく雪が積もり、シェルターの屋根が抜けたことがありました。また、シェルターの床下は舗装されていない上に、この大地は水はけも悪く、雨や雪が降ればぬかるみが出現します。そんな過酷な環境で、いつ終わるともしれない避難生活を送らなければならないんです。次第に心を閉ざしてしまうのも無理はありません。
二つ目の理由が、彼らの資金問題です。避難生活の長期化により、持参した資金はとっくに底をついています。避難先で仕事に就くことができればいいのですが、周辺受け入れ国の多くでは、難民が自国民の職を奪ってしまうのではないか、という恐れから、公式には就業を認めていません。仕事に就くことができない、あるいは仮に就けたとしても、足元をみられて非常に低賃金で労働させられています。
例えばヨルダンでは、難民たちの貧困ぶりは甚だしく、ヨルダン国民の最低レベルよりもさらに劣悪な状況にある人たちが多い。これでは限界がきて当然です。ここにずっといてもどうにもならない、ましてや故郷に帰ることもできない。もしかしたらヨーロッパに行けばチャンスがあるかもしれない。一縷(いちる)の望みが、人々の移動を後押ししているのです。
シリア人難民は、なぜドイツを目指すのか?
ドイツはシリア危機に関して、人道的な思想のもと、受け入れを表明しています。アンゲラ・メルケル首相の政治的なリーダーシップによるものと思われていますが、決して彼女の独断ではありません。
実はドイツには、第二次世界大戦後、当時の西ドイツで、戦後復興の過程でトルコ、ポルトガル、アフリカ諸国など、多くの移民を受け入れていたという土壌があります。その中にシリアの人々もいて、シリア人がドイツの戦後復興に深く携わっていたのです。
そんな歴史的背景の中で、ある程度の条件の下、市民権も得られ、ドイツに定住するシリア人たちもいました。やがて、シリア人のコミュニティができ、才覚のある人は商売で財を成したり、政治に参加するなど、地元の有力者になった人たちもたくさんいます。そのようなシリア人にとって、ドイツは第二の祖国なんです。
ドイツ内にシリア人コミュニティがあることは、シリア難民にとって夢や希望につながっています。ドイツに住むシリア人の方々が、資金的な支援を始めたり、遠い親戚を呼び寄せるのはもちろん、縁やゆかりのない方々もなんとか受け入れることはできないだろうか、と、それぞれの地域に働きかけをしています。
ドイツは州政府が多くの自治権を持っているので、州単位で難民の受け入れ話が盛り上がったり、影響力のある地元の教会が、人道的な観点で受け入れの動きを起こしたり。草の根レベルだった地方の難民受け入れ運動が、大きなうねりとなって中央政府を動かしたのです。EU諸国の中でいち早く難民の受け入れを表明し、受け入れ枠をつくり、予算をつけたドイツには、こうした歴史があったのです。
難民に紛れるテロリスト? 真偽を冷静に判断する
ヨーロッパ各国が、急増するシリア難民の受け入れ策に頭を悩ませている最中、2015年11月、パリで同時多発テロが起きてしまいました。仕掛けたのはイスラム原理主義を標榜する一派、一説には、難民に混ざってテロリストがパリに入ったとまことしやかに言われています。
確かに今年だけで、地中海を渡った難民は100万人近くに上ります。海を渡ればヨーロッパは陸続き。残念ながら、押し寄せる難民の中にテロリストが混ざっている危険性は十分にあります。
でも、入国管理がしっかりしていれば、テロリストを見抜くことはできるんです。どういうことかというと、難民審査では徹底したインタビューが行なわれるのですが、出身や現住所に至るまで調べられる中で、入国を審査する側がその国に精通していて、また、通訳がその人の訛りで出身地を見極めたりすることで、その人が嘘をついているかどうかを見抜くことができるんです。例えば、東京の人がいい加減な京都弁を使ったとしても、関西の人には見抜けるでしょう。それと同じです。
ただ、問題はあります。今、移動する難民があまりにも大量だということ。通常なら、しっかり引き締めている難民審査のプロセスが、簡便化せざるを得ない状況にある恐れはあるかもしれません。とはいえ、各国は厳しいまでの審査ノウハウを持っていますから、テロリストの水際対策に対して、必要以上に不安になることは無用です。
一方で、テロリストはとても才覚があり、どうやったら侵入できるか、ありとあらゆる手を使って挑んでいます。パリのテロでは難民申請をしたシリア人のパスポートがテロ現場に落ちていたという報道もありました。でも、決して、うのみにしてはいけません。むしろ巧妙に、シリア難民=テロリストだと恐怖を煽るための策略だったりしますから。そういった情報に無防備に乗ってしまったら、それこそテロリストたちの思う壺。なんの落ち度もないパリの方々が犠牲になられましたが、テロなどの暴力によって祖国を逃れているシリア難民こそがテロの一番の被害者といえます。
テロリストたちのコントロールには絶対に乗らない。世界の人々が、そういう意識でいないといけません。各国の政府やメディアの役割は大きいですね。
また、情報ソースとしてSNSも無視できません。伝達力は抜群です。そのため、流布されている情報の何が正しいのか、自分で正しく判断する能力が必要になってきます。
哀悼の意を表するためにFacebookのプロフィール写真にフランス国旗のトリコロールカラーをかぶせる動きがあり、これに関して大いに是非が語られました。確かにテロはフランスだけで起きているわけではありません。でも、Facebookというツールに絡んだこの一件で、難民問題の深刻さに気づき、意識するようになった人がいるかもしれません。私はこういったさまざまな意見が出ることは、むしろ健全だと思っています。難民問題も大いに語り合っていただきたい、と願っています。
http://woman.president.jp/articles/-/859
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日事務所 広報官。1962年東京都生まれ。父親の仕事の関係で、日本と海外(香港、メキシコ、アメリカ)を行き来しながら育つ。獨協大学法学部卒業後、住友商事に入社。5年後、結婚を機に退職してアンダーソン・毛利法律事務所へ。1996年、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に採用され、2007年より現職。