管理職になってからはとくに「いっぱいいっぱいでやってきた」という折井さん。失敗は数知れず、話せないような大きなものもあったとか。今の自分を形づくった、心に残る失敗の経験を語ってもらった。
心に刻まれた“叱責の電話”
「失敗はたくさんありますよ」
2012年にサントリーホールディングスの執行役員に就任した折井雅子さんは、意外にも晴れ晴れとした顔でそう語る。
ワイン、缶入りのお酒、清涼飲料などのマーケティングに長年携わり、担当したアイテム数は社内一。山ほどある失敗は、旺盛なチャレンジ精神の証しだ。
「基本は前向きですが、長いビジネス人生で戸惑ったり、グレかけたこともあります(笑)」と折井さん。サントリーに入社した1983年は、男女雇用機会均等法が施行される3年前。女性社員はどの会社でも「女の子」と呼ばれていた時代だ。大学で社会心理学を専攻した折井さんは、希望どおりマーケティング室に配属される。
「人々は何に心引かれるか、ということに興味があったんです。配属されたのは洋酒の商品開発を担当する部署でしたが、実際はお茶くみやコピー取りといった庶務の仕事ばかり。同期の男性がバリバリ働くのを横目で見ていました」
同期入社でマーケティング室に配属されたのは女性9人、男性2人。男性はすぐに自分の担当業務があり、女性も庶務のほかに担当商品を与えられたが、庶務ばかりやっていたのは折井さんだけ。同期が、自分で書いた書面にハンコを押す姿がうらやましく思えることもあった。
そんな折井さんに声をかけてくれたのは隣の職場の課長だった。
「飛行機も人間も滑走期間が長いほど高く飛べる。いまは高く飛ぶための滑走期間だと思って頑張りなさい」
そう思って、単純に見える仕事にも真剣に取り組むことで、後々仕事に役立つことを身につけていった。そして入社2年目、小さな商品から、念願の開発業務を担当するようになった。
「私にとって商品開発の原体験となる“心に刻まれる失敗”が起きたのはその頃です」
全国発売の新しいタイプのワインを担当したときのこと。商品の企画を考えに考えて、当時、大阪にあったデザイン部にボトルのラベルデザインを依頼した。ラベルデザインは、社内コンペで採用作が決められる。先輩と相談してプレゼンの日を2週間後に設定し、デザインの依頼書を大阪へ送った。
「書類が届いた日、ワインのデザインを担当するリーダーの方から電話がかかってきたんです。『2週間で描けるようなものではない! 安易に考えてもらっては困る!』と、震え上がるほど、本気で叱られました」
確認すると、制作期間は1カ月設けるのが本来で、2週間というのは仕事に慣れた先輩たちが無理を言ってお願いするケースがほとんどだった。どうしようと思い悩んでいたところに、別の若手のデザイナーから電話があった。「今回のやり方をリーダーが怒るのはもっともだよ。だけど、そもそも、どういうワインにしたいの?」
その問いかけに、とっさに自分の思いが口から出た。
「テーブルに春を呼ぶようなワインです」
それはマスカット・ベリーAというブドウからつくる奇麗なピンク色のブラッシュワインだった。折井さんの返事を聞いて、相手は「あっそうか。うん、わかった。みんなに言っておくね」と電話を切った。
2週間後、大阪からラベルのデザインが納期どおりに届いてびっくりした。それだけでなく、どの作品も「テーブルに春を呼ぶワイン」の雰囲気が見事に表現されていた。
「自分が発した言葉が、他者の力を得て形になる、それが商品開発の醍醐味(だいごみ)だと実感しました。同時に、仕事をすることの責任と厳しさを知りました。相手はプロなのだから、年齢や性別、経験によらず、自分も1人のプロとして対峙(たいじ)できなければいけない、そう痛感したんです。当時、まだ仕事の経験も浅い“女の子”だった自分を、一人前に扱って本気で叱ってくれたそのデザイナーの方に今でも感謝しています」
折井さんが自分の思いを必死に伝えた「テーブルに春を呼ぶワイン」は、デザインの方向性を示しただけでなく、発売後の商品ポスターにも使われるキャッチフレーズとなった。頭の中で漠然としていた商品イメージが明確になった瞬間。この貴重な経験は、その後のヒット商品にもつながっていく。
1983年東京大学文学部卒業後、サントリー入社。酒類製品の開発を多数手がけ、2000年、マーケターとして初めての女性課長に。07年、お客様コミュニケーション部長などを経て、12年よりサントリーホールディングス執行役員。