■編集部より指令

職場では、女からするとナゾと思える行為が散見されます。

その一つが、肩書が上の人には無条件で従う習性。自分より地位が上というだけで、「ハイ、わかりました」と言えることが不思議です。

また、より高い肩書を手に入れただけで、昨日まであんなに暗かった男性上司が急にイキイキし出しています。なぜでしょうか。

■佐藤留美さんの回答

なぜ、男性にとって「肩書」が重要なのか -男社会のトリセツ・女の言い分
http://president.jp/articles/-/12480

■大宮冬洋さんの回答

「肩書」はこれまでの頑張りの集大成

課長としてのスキルや風格を備えた人が課長になるのではない。課長になってから、その職務にふさわしい人間に成長していくのだ――。

組織で働いた経験のある人ならば、一度は聞いたことがある人事論だと思います。権限委譲や環境整備の重要性を説いているのですね。

もちろん、管理職には明らかに向いていない人を年功序列で課長に引き上げるのは間違っています。例えば、他人に仕事を任せられない人。任せるために必要な準備や事後評価をするくらいならば自分でやってしまいたいのです。そういう人は「一人屋台」の専門職として誇りある肩書を与えられるべきだと思います。

なぜ男性にとって肩書が重要なのかというご質問でした。「肩書」を「社会から期待や尊敬、好意の表れ」と言い換えるとわかりやすくなります。

多くの男性にとって、仕事は生活の糧を得るための手段だけではありません。今までがんばってきたことの現時点における集大成であり、社会的にどの程度評価されているかのバロメーターでもあります。

小さな社会に固執する男たち

国分拓『ヤノマミ』(新潮文庫)によれば、アマゾンで原始の生活を営むヤノマミ族における「いい男」は「狩りが上手い男」。なんともシンプルですね。夫の狩りの成果は家族を養うだけではなく、女社会における妻の立場をも左右しているのでしょう。当然、狩りが上手な男は男社会の中でも尊重されています。ジャングルの中での歩行すらままならない著者たちは「男扱い」どころか「人間扱い」もされなかったそうです。

近代化された日本はヤノマミよりもはるかに複雑ですが、個々の日本人男性が所属しているのは会社や業界というヤノマミ部族並みの小さな社会。一票の重さが平等な民主主義ではなく、実力と肩書がものをいう社会です。

小さな社会に固執して肩書に心情を大きく依存している男性の姿は、女性から見ると滑稽かもしれませんね。でも、男性は(哀れにも)仕事にアイデンティティーが集中していることがわかったら、彼の顔を立てられるようになるでしょう。無理にヨイショする必要はありませんが、みんなの前で顔を潰すようなことだけは避けてください。

愛すべき単純さ

個人的な苦い思い出を「悪い例」に使わせてください。僕は学生時代までは英語学習をがんばっていました。親しい教授が企画した国際会議の手伝いも買って出て、外国人参加者の接待係のリーダー役をやったのです。自分では立派に「業務」を遂行していたつもりですが、同じく接待係だった帰国子女の女性が僕の英語を拙いと感じたらしく、他の人がいる前で「彼の英語力ではうまく進行しない」という趣旨の発言をされました。なんとか会議は成功しましたが、あのときの屈辱と恥ずかしさは今でもかすかに覚えています。リーダーを務める気持ちや英語学習の意欲は薄れてしまいました。

管理職の肩書を与えられたぐらいで表情が生き生きして、なんだか言葉遣いまでが重々しくなってしまう男性。褒められて期待されたら、実力以上にがんばってしまう男性。愛すべき単純さだとは思いませんか。

調子に乗って横暴になるアホは論外ですが、うまく盛り立ててあげれば実力と優しさを兼ね備えた立派なリーダーになる可能性が高いのです。それはあなたにとっても社会にとっても良いことだと思います。どうか彼の顔を潰さずに温かく見守ってください。

大宮冬洋
1976年埼玉県生まれ。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に就職。退職後、編集プロダクションを経て、2002年よりフリーライターに。ビジネス誌や料理誌などで幅広く活躍。著書に『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(ぱる出版)、共著に『30代未婚男』(生活人新書)などがある。
実験くんの食生活ブログ http://syokulife.exblog.jp/