■編集部より指令

職場では、女からするとナゾと思える行為が散見されます。

その一つが、肩書が上の人には無条件で従う習性。自分より地位が上というだけで、「ハイ、わかりました」と言えることが不思議です。

また、より高い肩書を手に入れただけで、昨日まであんなに暗かった男性上司が急にイキイキし出しています。なぜでしょうか。

■大宮冬洋さんの回答

あの上司が「肩書」だけでイキイキし出した理由 -男社会のトリセツ・男の言い分
http://president.jp/articles/-/12482

■佐藤留美さんの回答

役職を取り上げられた男性の無力化現象

私はある大手メーカーの人事関係者の方から、こんな話を聞いたことがあります。

そのメーカーは御多分に漏れず、グローバル化を推進中で、全世界の拠点の従業員の等級(グレード)、職位を統一。日本の大手企業にありがちな「部付部長」など「部下ナシ管理職」の方々の役職を引っぺがしています(実質的に、マネージャー業務をしていない日本独自の職位だったため)。

すると、ヒラ同然の処遇に落とされた男性社員たちは、たちまちやる気を失ってしまい、あまつさえ会社に反抗的になり、そのことが問題化しているというのです。

つまり、男性社員は、たとえ部下がいるホンモノの部長にはなれなくとも、「部付部長」という微妙な職位やそれに応じた収入を得ることで、一定のメンツやモチベーションを保っていたのです。

役職を取り上げられた男性社員の無気力化――は、55歳で役職定年をした男性などにもよく見受けられる現象です。

なぜ、日本の男性はこれほど地位や肩書に拘泥するのでしょうか?

「働かないオジサン問題」も根っこは同じ

それは、60年代に社会学者の中根千枝氏が日本社会は「タテ社会」であると指摘した現象が、いまだ根強いからではないでしょうか。

中根氏によると、西欧社会は社会集団の構成の要因が資格(=構成員に共通したもの、具体的には氏・素性、学歴、地位、職業など)によるもので決まるのに対し、日本社会は場(一定の職業集団、所属機関、地域など)でその構成がなされるといいます。

だからこそ、その中での序列が重要なのだとも。そして、序列を決定する基準は、集団の中での経験が重視され、従って、日本では年功序列が長年採用されてきたのです(「働かないオジサン問題」は、「タテ社会の構造」にこそ原因がありそうです)。

つまり、日本人、特に組織人としての経験の長い男性は、ほとんど本能レベルで、「場」に執着する。それゆえ、その「場内」での序列に敏感なのです。よって、他の組織の人間からしたら、まったく意味不明な少しの序列の差を巡って競いあったり、勝ち誇ったり、あるいは自分より少しでも序列の高い人には思考停止状態で追随したりするのではないでしょうか。

変わろうとはしているが、変われない

とはいえ、中根氏は早くも60年代に、縦社会では契約精神が欠如しやすく、目的や責任感の共有がしにくい上、感情的な人間関係が重要視されがちだと、マイナス面を指摘しています。

しかも、同じ組織の中にどっぷり浸かってしまうため、違う環境で自分を試してみるという体験が乏しく、行くところまでいかないと、変化を起こせない弱さがある。

順番が来て上に立つ仕組みなので、幹部は無事に自分の任期を過ごせばいいという発想になりがちだとも言っています。

もっとも、そうした反省を踏まえ、最近の組織は従業員の自立意識を高め、業務遂行スピードを上げるためにも、フラット化、もしくはアメーバ化する方向に向かっています。

多くの組織が、縦社会による組織運営は、もはや時代遅れだと認識したのでしょう。

ただし、長年、縦社会による社会集団や組織運営になじんだ男性陣は、たとえ組織の構造が変化しても、序列を重視した上意下達のコミュニケーションがいまだ骨身に沁みついています。だからこそ、能力や仕事の中身以上に肩書に拘るのです。

佐藤留美
1973年東京生まれ。青山学院大学文学部教育学科卒。出版社、人材関連会社勤務を経て、2005年、企画編集事務所「ブックシェルフ」を設立。20代、30代女性のライフスタイルに詳しく、また、同世代のサラリーマンの生活実感も取材テーマとする。著書に『婚活難民』(小学館101新書)、『なぜ、勉強しても出世できないのか? いま求められる「脱スキル」の仕事術』(ソフトバンク新書)、『資格を取ると貧乏になります』(新潮新書)、『人事が拾う履歴書、聞く面接』(扶桑社)、『凄母』(東洋経済新報社)がある。東洋経済オンラインにて「ワーキングマザー・サバイバル」連載中。