期待に応えようと必死だった

資生堂執行役員常務 関根近子さん。美容領域、ビューティークリエーション、お客さま情報、国内ノン資生堂事業(6社)、資生堂学園を担当。

2003年に営業本部長となり、夫と息子のもとを離れ、宮城へ単身赴任しました。息子が大学生になって手が離れるタイミングでもあり、思い切って与えられたチャンスを生かそうと思いました。

社内で営業本部長は女性初。東北全域と北海道の責任者で、部下は30人いました。大きなチャンスをもらい、会社の期待に応えようと必死でした。

気負うあまり、部下が失敗すると、フォローするどころか「なんでそんなこともできないの」と批判することもありました。会議の座席を成績順にしたこともあります。

そんな姿勢は当然、反発を受けました。部下に話しかけても反応が鈍いし萎縮してしまっている。職場の空気も悪くなり、次第に、情報が自分のところにきちんと伝わらなくなりました。

落ち込んでしまい、山形に住む夫につらい状況を打ち明けました。すると「近子はそんなタイプじゃなかっただろう。以前は『今日もお客さまによろこんでもらえた』とうれしそうに話してたじゃないか」と言われ、ハッとしました。

数字を見て、人を見ない――そんな上司になっていると気づいたのです。

本来の自分はそうではない、と思いました。部下と同行営業に出かけ、部下たちのいいところを褒める。お客様によろこんでもらう素晴しさを語る。自分が変われば、部下たちも変わるはず、そう思ってこれまでの姿勢を改めました。

英語を猛勉強

ディシラの営業本部長として1年半。業績が伸びてきたところで、資生堂へ戻ることになりました。2004年10月、宇都宮支社長としての異動でした。

そして2006年には女性初の近畿支社大阪支店長となり、部下の人数も格段に増えました。大阪支店は、有力なお取引先が多く、市場規模も全国有数です。取引先からは「女性が支店長とは馬鹿にしているのか」という声があったといいます。とにかく試練の毎日でした。

そんな状況でも自分の役割に邁進できたのは、優れたメンターに出会ったからです。当時の近畿支社長で、私の前任の責任者でした。私が悩んでいると、お得意先さまとの接し方を身を持って教えてくれ、影でフォローをしてくれるなど、私の目指すリーダーのロールモデルでもあります。

大阪支店長から再びディシラに異動になり、営業推進本部長を1年半務めたあと、資生堂の国際マーケティング部美容企画推進室長に就任しました。世界80カ国以上、1万人以上のBCを束ねる立場で、海外事業の顧客対応力を高める仕事です。

それまで外国の方と働いたことなどありませんでしたから、語学には苦労しました。すぐマンツーマンの英会話教室に通いはじめ、猛勉強しました。ただ、外国人の上司は「国際部門で働く必須条件は語学力ではなく、コミュニケーションをとろうとする気持ち、アグレッシブに意見を述べる姿勢だ」とアドバイスしてくれました。「目からうろこ」のひと言でした。

その後、海外出張があると、会合の席では外国の方のお隣りが空いていたら必ず座ってこちらから話しかけました。英単語を羅列し、身振り手振りを交えての会話です。もし自分が逆の立場なら、カタコトの日本語でも一生懸命に話そうとする外国人がいたらうれしくなります。相手もたぶん同じだろうと考えてチャレンジしていました。

プラス思考で輝いて生きる

資生堂のBCは、知識や技術とともに、日本が誇る「おもてなし」の心で、世界中で接客しています。これは当社が世界で戦ううえでの強みとなっています。現在、「SHISEIDO BC OMOTENASHI CREDO」は26カ国語に翻訳され、資生堂BCの行動指標として、全世界のBCが携帯しています。

海外で「阿吽の呼吸」は通じませんから、接客ノウハウもできるだけ科学的に説明するように努めています。店頭でのBCの行動・行為が、お客様の脳にどう働きかけるかといった実証データもあります。こうして毎日の活動を振り返ることで、BCたちは活動の質を磨き上げる努力を続けています。

国際マーケティング部で美容企画推進室長を務めたのは2年半で、2012年に執行役員美容統括部長に就任しました。今年4月には執行役員常務になりましたが、どのような立場になっても、かつて社内研修で知ったある言葉を自分の人生の指針として活動しています。

それは「プラス思考で輝いて生きる」です。「困難な状況にあっても、少し見方を変えればプラスに考えられる」。そう心がけて輝いて生きることで、たくさんの素敵な人に出会え、素晴らしい経験ができる。私のこれまでの歩みから皆さんに送りたい、私からのメッセージです。