出産や育児はハンディにならない

資生堂執行役員常務 関根近子さん。美容領域、ビューティークリエーション、お客さま情報、国内ノン資生堂事業(6社)、資生堂学園を担当。

私は美容部員として資生堂に入社し、それから42年の間に結婚、出産、子育て、そして親の介護を経験しました。仕事と家庭の両立は大変ですが、こうした経験が仕事を続けるうえでも大きな示唆を与えてくれました。お客様とお話しする時にも、それはいきています。

与えられたチャンスを積極的に活かす。目の前の仕事に一生懸命に取り組む。そうした姿勢があれば、出産や育児も、仕事を続けるハンディにはならないと思います。

そうやって常にポジティブに考え、厳しい状況を乗り越えてきたからこそ、今の私があると思っています。

資生堂に入社したのは、創業100周年にあたる1972年。学生時代は教師になりたいと考えていましたが、当時の家庭の事情もあり、進学を諦めざるをえませんでした。そのとき奨められたのが資生堂への就職です。同じ高校の先輩が資生堂にいて、店頭で働く姿がとても魅力的だったのも志望動機になりました。

就職するまで、美容部員(現在のビューティー コンサルタント=BC)は、化粧品を単に販売するだけの仕事と思っていましたが、新入社員研修でもっと大切な役割があると教わりました。お客様に商品をおすすめするには、知識や技術はもちろん、人間性が何より大切だということ。そして美容部員という仕事は、美しくなるよろこびをお伝えする「美の伝道師」であること。BCの使命・役割を学ぶうちに「もっときれいな女性を増やしたい」という思いが強くなっていきました。

先輩が救ってくれた「4年目の挫折」

BCの仕事は楽しかったのですが、「会社を辞めたい」と思ったことが一度だけあります。入社4年目に新規顧客を開拓するチームに配属されたときです。毎日、デパートの特設コーナーに立ち、通りかかった方に商品をおすすめしていました。最初の3カ月はさんざんの販売成績で、「自分には向いてないのかな」と悩んでいたとき、ある先輩から「あなた、商品を売ろうとしているでしょう」と言われました。

初めはその意味が理解できなくて戸惑いましたが、入社当時に学んだことを思い出しました。私たちの使命は、商品をただ売るのでなく、お客様自身も気づいていない美しさを引き出す、ということです。その日から「この女性にもっと美しくなってもらいたい」と真剣に考えてお客様に接するようになりました。その気持ちでお客様に声を掛けると、これまで悩んでいたことがうそのようにお客様からの反応がありました。

通勤中も、女性を観察しては「この人がもっと美しくなるには……」と考えるようになり、1年半ほどで自ずと実績は伸びていきました。

この経験から「自分の第一次評価者は常にお客さま」と考えるようになりました。一度接客すればそれで終わりではありません。その場限りでなくお客様に何度も足を運んでいただくことが重要です。どんな状況にあろうとも、この考えは貫き通しました。

車に自転車を積んで営業活動

入社10年目を迎えたころ、BCや販売店の方に商品知識や販売方法を指導する部署に移りました。学生時代に教師を志していたせいか、この仕事にもやりがいを覚えました。

販売の基本は、まず商品を好きになること。新商品にわからない点があれば、開発部門の方に納得できるまで説明を聞く。化粧品は自分の肌で効果を確かめる。つまり、お客様のことを思い、自分が納得し体感したことをお伝え出来れば、結果は後からついてくるのです。

入社19年目、同じ山形県内の子会社へ出向することになりました。当時立ち上がったばかりの高機能化粧品ブランド「ディシラ」の販売会社です。資生堂の名を一切出さないブランドだったので、当初は戸惑いもありました。

新ブランドの普及は想像以上に困難で、「自分は資生堂の看板で仕事してたんだ」と痛感しました。担当エリアは山形全域だったので、車で県内各地をまわり、近場は自転車でまわりました。

商品には自信がありましたので、病院など女性の多い職場を探してはサンプリング活動もしました。こうした活動が実を結び、「ディシラ」の取扱店は次第に増えました。県内7店舗でスタートしたのが、私の担当時代に35店舗まで増え、全国でもトップレベルの販売実績をあげることができました。

その後、山形、秋田、宮城を担当エリアとする営業部長を務めた後、宮城へ単身赴任して営業本部長になりますが、ここで思いがけない苦汁を舐めることになります。