CEOからの内線
昨年4月から執行役員を務めています。昨年できたばかりのウェルスマネジメント本部の副本部長として、企業トップや医師向けの資産管理型営業を進める日々です。
あの日のことは未だに忘れられません。朝、CEOから内線がかかってきて、「今日の役員会議で『北川君を執行役員にする』ということで通すから」と。あまりに突然の連絡だったため、思わず絶句しました。
当初は不安な気持ちが強かったというのが本音ですが、当時の上司から「サラリーマンとして会社に入ったからには、そういうチャンスをものにするのも大事だよ」と言われて心が決まりました。
いざ役員になってみると、確かに重責には違いありませんが、37歳の時に女性初の支店長に就いたときのほうがむしろ気負いが大きかったように思います。その当時、女性支店長は私ともう一人だけしかおらず、「自分が失敗すれば今後、女性の支店長はもう生まれないかもしれない」と重圧を感じました。実際に私に面と向かってそう話す人もいました。
しかし、幸い部下に恵まれました。私より10歳ほど年上の男性の営業課長が「女性で初めての支店長が来るから、みんなで支えて頑張ろう」と組織をまとめてくれたのです。おかげで気負いがなくなりました。よく「自分より年上の男性の部下は扱いにくくないですか」と質問されることがありますが、そんなことはありませんし、そう思うのは相手に失礼だと思います。
やればやるほど、仕事が面白くなった
私が入社したのは1990年4月、バブル全盛期です。その頃は証券会社というと時代の寵児のような業種で、周りにも証券会社に就職する学生が多数いました。私がこの業種を選んだ一番の理由は、仕事の内容がきちんと評価されやすいと思ったからです。実際はマーケットに左右されて思いどおりにならないことが多かったのですが……。
入社以来ずっと、個人営業を担当してきました。半田支店を振り出しに次が栄支店(現名古屋支店)、新瑞橋支店で営業課長を経験し、小牧支店長、豊田支店長、名古屋支店の営業第二部長を経て、昨年の4月から今のポストです。
最初から長く勤めようと決めていたわけではありません。働き始めてから変化するマーケットに対応するのが面白くなっていきました。また、お客様も1人ひとり求めるものが違い、フォローの仕方も異なってくるので、やればやるほど仕事の奥深さが感じられました。
仕事をする上で何より大切にしていたのは、「お客様が損失を抱えたままではいけない」という気持ちです。マーケットは思うようにはいかないものですし、もちろんお客様に確実に利益を上げていただけるわけではありませんが、「アフターフォローはきちんとさせていただきます」と言い続けてきました。
役員就任を喜んでくれたお客様
お客様との関係が特に深まったのは栄支店時代からです。それまでは値上がりが見込める個別銘柄を中心にご提案していたのですが、この頃からはお客様の運用期間やリスクの許容度などに応じて、お客様の運用資産構成、すなわちポートフォリオのバランスを考えた提案を積極的に行うようになりました。
マーケットが低調な局面が長く、必ずしもいいお返しができたわけではありませんが、お客様に「北川さんに転勤されては困る」と言っていただいたのが仕事への大きなモチベーションになりました。
これは栄支店時代に可愛がって頂いた年配のお客様の話なのですが、昨年、久しぶりにお顔を拝見しに行ったら、私が役員に就任したときの新聞の切り抜きを持ち出してきて我が事のように喜んでくれました。本当に嬉しかったです。私の役員就任はこのようなお客様との関係が土台になっています。