肩肘を張っていた営業時代

日本サブウェイ 取締役 庵原リサさん。営業統括本部長。

私がサントリーに入社したのは、外食産業に関わりたかったからです。もう亡くなった祖母が昔、料理旅館をやっていた影響もあって食べることが好きでした。バブル真っ盛りの高校時代、若い人向けのお洒落な飲食店は増えましたが、祖母と入れるようなお店はあまり見つかりません。年齢に関係なく入れるお店を作りたいと思いました。

サントリーでは財務部を振り出しに、当時、女性も営業に出そうという会社方針を受けて私も酒屋さん相手の個店営業に回りました。会社で初めての女性営業職でした。女性の営業マンとしては、損得は半々でしょうか。男性と同じように酒店の倉庫の掃除から自動販売機の補充の手伝いまで、取引をしてもらうために果敢に攻めました。男に出来るなら自分に出来ないはずがないと肩肘張りつつ仕事をしていました。

まだプレミアムモルツがヒットする前で、ビールを売り込むのが本当に困難でした。男性並みの体力があったらなあ、家でご飯を作ってくれる奥さんのいる男性はいいなあと思ったこともあります。店主から「女なんかで大丈夫?」と言われて悔しい思いもしました。でも、女だから顔を覚えてもらいやすいし、ちょっと頑張ったら社内で目立つ利点もありました。

法人営業でぶつかった大きな壁

その後、外食チェーンが勢いを増す中で新たに法人営業専門の部署が創設され、私も配属されました。

そこで最初の大きな壁にぶつかります。酒店営業は愛嬌と情の世界で、酒屋さんの大将、奥さんとの会話も「今度近くに美味しいお店が出来ましたね」といった世間話に近いものでした。

ところが法人営業となると、サントリーグループのリソースを使ってどう相手企業の課題を解決していくかが問われます。会話の内容も財務戦略や市場マーケティングの話になってきます。言葉はわかっても何を意図しているのか私にはきちんと理解できませんでした。大きな取引がうまくいかないことがあり、このままの自分ではダメだと思いました。

そこで土日を返上し、ビジネススクールに通いました。仕事と勉強の両立は、確かに大変でしたが、時間は何とかなるものです。1時間早く起きて時間を作り、電車の中も学習時間としました。週末をグダグダと過ごすこともなく、振り返れば人生の中で一番生産性の高い時期だったと言えるかもしれません。ただし家事は放りっぱなし。夫の全面的な協力には感謝しています。

表を拡大
庵原さんのキャリア年表

役員は目指したわけではありません。出世ということよりも、やりたい仕事がしたいという思いでした。ずっと営業をやってきて、外食事業に携わろうと願っても商品開発やマーケティングはすでにプロパーで経歴の長い人がいるので、経営層での出向の道しかなかったのです。幸いサントリーは「やってみなはれ」の企業文化があり、チャンスをもらえたことはありがたく思っています。

法人営業でぶつかった壁より、役員の今のほうが壁は重たくなっています。昔はオンとオフの切り替えがうまかったのに、今は土日も仕事をしてしまいますし、常に仕事のことが頭から離れません。どんなコミュニケーションをとれば相手といい関係が築けるか、この組織をどういう方向に持っていけばパフォーマンスが上がるか……。飲食産業の中でもFCはピープルビジネスと言われます。そのとおりで、人に関わる課題をいつも考えています。

つらい仕事は必ずあとで生きてくる

私の仕事道具:白いA4の紙と筆記具を必ず持ち歩く。頭の中にあることを絵や図に描いて整理する。サントリーの役員にもらったストレス解消グッズもデスクに置いてある。

今、十数年前の私と同じように現場で悩んでいる女性もいるでしょう。とかく20代は理不尽でつらい仕事が多いものです。でも、それは必ず後に生きてきます。私の20代はビジネスの筋トレの期間でした。地べたを這うような営業の経験がなければ、机上でプランを立てるばかりで現場の気持ちがわからない役員になってしまっていたでしょう。

へこみそうになったときはカッコよく生きている自分を思い描き、気持ちを強くしようと努力しています。半沢直樹のように、ここで部下を守れたらカッコいいよなとか(笑)。そうやって気持ちを持ち上げていかないと、つい“優等生の壁”にぶち当たって日寄ってしまうからです。

セミナーや講演会に呼ばれたときはなるべく出て行くようにしています。「苦しいけど一緒に頑張りましょう」「経験不足だとしてもビビらないで前に進みましょう」。そう言いながら、実は自分を鼓舞しているのかもしれません。