※1 原油、金属などの枯渇性資源
1990年代に当時の社員たちが成し遂げた「フロンレス」の経験から学ぶこと
――御社の環境活動について経緯を教えてください。
【小川】当社は1942年、時計部品の組み立て工場として自然豊かな長野県の諏訪湖畔で創業しました。創業者の山崎久夫は、「絶対に諏訪湖を汚してはいけない」「周辺の人に迷惑をかけず、地域に受け入れられる工場でなければいけない」という強い思いを抱き、常に地域との共生を最優先に考えていました。
その思いは、今なお脈々と受け継がれています。私たちも、この美しい自然の中で、地域との共生を大切にしながらビジネスを進めていくんだという気持ちで環境活動に取り組んできました。
さまざまな活動の中でも特に象徴的な事例が、1988年に始まったフロンレスへの取り組みです。当時、工場では部品を洗浄する際に大量のフロンを使っていたのですが、人体には無害であるものの地球環境にはよくないということがわかり、当時の社長がフロン全廃を宣言したのです。私が入社した年のことでした。
万能な物質と言われていたフロンの代替物のあてもない中、削減ではなくいきなり全廃ですから、現場にとっては悲鳴をあげたくなるような出来事だったでしょう。それでも、社長が強い意志を示したことで、フロンではなく水で洗浄するための技術開発が進み、当初の目標よりも早い1992年には国内で、翌年には全世界の洗浄工程からフロン全廃を達成できました。
その過程では、新たな技術開発や本社・各事業部・工場の連携が大きく進展しました。難しい挑戦だったからこそ全員が一丸となって懸命に工夫した、だからこそやり遂げることができたのだと思っています。
また、当時開発した技術は自分たちだけが使えるものとして囲い込むのではなく、世に公開したそうです。他の企業にも広めて社会全体のフロンレスを推進したいという思いのもと、要望があれば他社へ技術指導にも出向いていたといいます。このエピソードには、「社会とともに発展する開かれた、なくてはならない会社でありたい」という当社の理念がよく表れていると思います。
2050年までに「カーボンマイナス」と「地下資源消費ゼロ」を達成
――そうした先人の思いや実行力を受け継ぎ、近年では環境への取り組みも含むパーパスを定められました。
【小川】「『省・小・精』から生み出す価値で人と地球を豊かに彩る」。これが、2022年、創業80周年の節目に策定したエプソンのパーパスです。「省」は無駄を省くこと、「小」は小さくすること、「精」は精緻さを突き詰めることを意味します。小さな精密機器の腕時計の組み立て工場から始まったという歴史ゆえに、私たちは常にこの3つを追求してきました。
策定の過程では、全世界のメンバーとともに会社の歴史を振り返り、強みや大切にしてきたことなどを徹底的に話し合いました。その中で、我々の強みは「省・小・精」の技術や考え方であり、それをもって環境を含め世の中に貢献して人々の心を豊かにしていきたいんだというコンセプトが固まっていったのです。かなり白熱した議論が続きましたが、1年弱ほどかけて何とか制定に至ることができました。
パーパス策定に先立ち、2021年には以前からあった「環境ビジョン2050」も改定しています。私たちが長年磨き続けてきた「省・小・精」の技術は、まさに環境に貢献できる技術でもあります。このことから改定版では、今後はもっと環境にフォーカスしていくんだ、環境を経営の中心に据えていくんだという強い思いを示そうと、あえてかなり高い目標を設定しました。
――高く設定したという目標を改めてご紹介ください。また、達成に向けてどんな取り組みをしていこうとお考えでしょうか。
【小川】目標は、2050年までに「カーボンマイナス」と「地下資源消費ゼロ」を達成することです。カーボンゼロではなくカーボンマイナスとしたのは、必ずやり遂げるんだということに加えて、私たちの技術力のポテンシャルからすれば、絶対にこのぐらい世の一歩先を行かなければいけないという意志を込めてのことです。
達成できる明確な見通しがあったわけではないのですが、大事なのは「やるんだ」と決めることです。物理的にできない話ではありませんし、大きなことを言えば言うほど気にかける人も増えますから、私たちとしてもやらざるを得なくなる。カーボンマイナス宣言には、そんな状況を自らつくり出そうという意図もありました。
自ら退路を断つといったら大げさですが、フロンレス宣言をした社長も同じ思いだったのかもしれません。トップが大きな目標を定めて、後はその目標のもとで全員一丸となってやっていけば必ずできると。大切なのは、「今、できるかできないか」の話ではなく「やるんだ」という思いなのです。
達成に向けては現在、「脱炭素」、「資源循環」、「お客様のもとでの環境負荷低減」、「環境技術開発」の4つの取り組みを行っています。最終的には、「省・小・精」の技術を生かして製品やサービスすべてをさらに環境にいいものに変えていきたいと思っています。
しかし、それだけではやはり達成は無理なんですね。私たちは製造業ですから、いくら環境に配慮した商品でも、ものをつくるうえでは多くのエネルギーを使うわけです。カーボンマイナスを目指すには、まず少なくとも自社のものづくりにおけるCO2排出をとにかく減らしていかなければいけない。そこで2021年に、全世界のエプソンの使用電力について「再生可能エネルギー100%化」を宣言しました。
――非常に先進的な取り組みですが、どのように進められたのですか。
【小川】結果から言えば、国内では宣言した年にすべての拠点で再エネへの転換が完了しました。海外でも2023年末に完了し、これをもって100%を達成することができました(※2)。
※2 一部、販売拠点などの電力量が特定できない賃借物件は除く
こちらは、初めからある程度「達成できる」という見通しを持ったうえで宣言しました。再生可能エネルギーはすでに技術があり、それを専門とする企業もある。その意味では、ハードルはフロンレスより低いはずだと考えていました。
具体的には、契約する電力をCO2フリー価値つき電力供給に変更し、併せて長期契約とするなど契約自体の見直しを行ったり、賃借物件などを含めて再エネメニューの選択が難しい場合は各国の再エネ証書を活用するほか、工場に太陽光パネルを設置するなどしました。また、長野県では、社会に再エネを普及させるための将来を見据えた投資の位置づけとして、再エネの継続的な購入が新規の電源開発につながるような仕組みを構築し、支援を継続しています。
ただ、再エネ100%化はカーボンマイナス実現に向けた打ち手のひとつに過ぎません。自社の量よりもはるかにCO2の排出規模が大きなサプライチェーン全体にわたって「こうすれば実現できる」という明確なシナリオを描くのは難しく、しかもその先、2050年の「カーボンマイナス」に向けてはもう一段ハードルが上がる、今より高いレベルの技術開発が必要になると見ています。それでも必ずやり遂げるつもりです。早期にやり遂げた再エネへの転換は、自社の目標達成ということよりも、私たちのパートナー企業やその周囲のサプライチェーンへよい影響を及ぼすだろうという点で意義が大きいと信じています。
「私たちの事業活動そのものが環境活動です」
――未来へ向けて、今後どんな研究開発に投資していく予定でしょうか。
【小川】環境に対する4つの取り組みのうち、「脱炭素」、「資源循環」、「環境技術開発」に対して2030年までの10年間で1000億円の費用を投入することとしました。その一例として、使用済みの紙や繊維素材を再繊維化する「ドライファイバーテクノロジー」の応用研究開発では、すでに実用化された再生材の活用事例があるほか、バイオプラスチック・再生プラスチックに関する技術確立を目指して東北大学との共同研究も進めています。
一方、商品すべてにおいて「お客様のもとでの環境負荷低減」を実現するため、その研究開発や設備投資には毎年約1000億円を投入しています。これによって、私たちの製品を今よりもっと環境に配慮したものにしていくつもりです。
そこまでコストをかけて大丈夫なのかと思われるかもしれませんが、私たちにとっては、事業活動そのものが環境活動であり、それが社会への貢献や社会からの信頼につながると考えているため、至極当然の投資なのです。エプソンの商品を使ってみようかなという気持ちも、パーパスに対する社会からの共感も、この信頼なくしては得られません。
今後も、区切りとなる2050年に向けてやるべきことをしっかりやっていきます。社会課題を起点とし、その解決に向けた活動をより一層強化することで同時に事業成長を目指します。目標達成へのハードルは非常に高いですが、その点はすでに覚悟ができていますので、後は「ブレずにやり続ける」ことを大切に、全力で取り組んでいきたいと思います。