新型コロナウイルス感染症による国内の移動制限、インバウンドの減少、人手不足、改善されない労働環境、旧態依然の習慣など、ホテル業界が抱える課題は多い。一方で、ホテル業界はもっと面白くできると信じて日々新たな取り組みに挑む二人がいる。今回は、ホテル業界に風穴を開けんと、日本にブティックホテル市場を開拓し、2017年にTRUNK(HOTEL)をオープンしたテイクアンドギヴ・ニーズ会長の野尻佳孝氏と、国内外に64の拠点をもつ、業界イノベーターの先駆者ともいえる星野リゾート代表の星野佳路氏にホテル業界の今後について話を伺った。

今、ホテル業界が解決すべき課題とは

――ホテル業界の現状や問題点について、お考えをお聞かせください。

【星野】今後、ホテル業界が発展していくためには、同業他社との協力関係と健全な競争関係の維持、この2つの両立が大事だと考えています。しかし、ホテル業界は歴史が長いこともあって、協力関係のほうをより重視する傾向が強く、ルールや意識の面で昭和の時代から変わっていない部分も少なくありません。昔のやりかたを守るためではなく、新しい問題を皆で解決していくために関係性を変えていく必要があるでしょう。それこそが業界全体の発展につながると思います。

【野尻】同感です。僕は1998年に、画一的で面白味のなかったブライダル業界にイノベーションを起こすんだという思いを持ってテイクアンドギヴ・ニーズを立ち上げました。ハウスウェディングという新業態をはじめ、当時の業界の常識を覆すようなことをたくさん提言したので、先輩方から怒られたこともありましたが、結果的には業界の質向上に貢献できたのではと思っています。

2017年には、今度はホテル業界にイノベーションを起こしたいという思いから、ブティックホテルブランド「TRUNK」を立ち上げました。そのとき感じた課題のひとつは人材不足です。労働時間の長さや給与水準の低さなどから働く人にとって魅力的な業界とは言いがたく、優秀な人材が集まりにくくなっていました。

野尻佳孝(のじり・よしたか)
テイクアンドギヴ・ニーズ 代表取締役会長、TRUNK代表取締役社長
1972年、東京都生まれ。大学卒業後、損害保険会社に就職したのち、98年に26歳でテイクアンドギヴ・ニーズを設立。2001年に現在の新ジャスダック、06年には東証一部に、いずれも史上最年少で上場。ウェディング業界のリーディングカンパニーとして育て上げ、日本にハウスウェディング市場を創出した。2017年、渋谷区神宮前にTRUNK(HOTEL)をオープン。

もうひとつはADR(平均宿泊単価)の低さです。ブライダル業界も以前は単価が低かったのですが、今はかなり改善されています。ホテル業界は低価格競争から脱却してADRの向上をめざすべきではないか、それが給与水準の向上に、ひいては人材不足の解消につながるのではないか――。新参者の僕が言うのもおこがましいのですが、そんなことを感じました。

共通点は「業界の常識にとらわれない」精神

――業界に多くの課題が残る中、両社はしっかり実績を出されています。秘訣ひけつは何でしょうか。

【野尻】僕たちはまだまだスタートしたばかりですが、現在出ている実績に関してはターゲットをグッと絞ったことが功を奏したと思っています。

ホテル業界への参入時、僕たちはターゲット層をライフスタイル感度の高いニューラグジュアリー層に絞りました。以降、そうした人々と徹底的にコミュニケーションをとり、彼らのライフスタイルや価値観の理解に努めています。まずターゲットを定め、綿密なマーケティングを行い、そのうえでホテル全体のクリエイティブをつくり上げていったのです。

業界のADRを率先して上げていくためにも、将来的にはリゾートホテルも展開して、そこでADR30万円ぐらいまでは挑戦したいなと思っていました。現在もTRUNK(HOTEL)のADRは7万円を超えていて、東京圏のラグジュアリーホテルの平均を1万円以上上回っていますが、その価格に見合うものにするため、「アトリエ」というクリエイティブ集団をつくって、ホテルのクリエイティブディレクションを内製化することにしました。今、この組織は、建築家やデザイナーを含め総勢15人ぐらいになっています。

【星野】リゾートホテルでADR30万円はすごいですね。当社の場合は、スタッフのマルチタスク化やブランド展開など、自社の競争力を高めるための仕組みづくりに取り組んできた結果だと思います。また、ホテルの予約方法が旅行サイトやアプリ中心へと変化する中、20年ほど前から自前の宿泊予約システムの構築に投資を続け、ITソリューションの部分を内製化しました。その結果、星野リゾートの各施設ではお客様の約70%が直接予約です。

星野佳路(ほしの・よしはる)
星野リゾート 代表
1960年、長野県軽井沢町生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、米国コーネル大学ホテル経営大学院修士課程修了。91年、星野温泉(現在の星野リゾート)社長(現在の代表)に就任。所有と運営を一体とする日本の観光産業でいち早く運営特化戦略をとり、運営サービスを提供するビジネスモデルへ転換。趣味はスキーであり、年間の滑走日数は70日を目標にしている。

【野尻】一般的なホテルでは直接予約は15%程度だそうですから、すごい数字ですよね。僕らも直近では同じく約70%ですが、その規模で維持されているのがすごい。

従業員主体の文化と適切な処遇があれば、業界は自ずと盛り上がる

――組織づくりに関してお二人のお考えをお聞かせください。

【野尻】当社では、従業員の主体性や自己実現を大切にした組織づくりを心がけています。各人が業務時間の10%を自分の「WANT=興味関心」のために使える「10%ルール」があるほか、自己研鑽に関する費用も会社が一定金額の負担をしています。また、主体性を持って働いてもらうために、裁量もかなり広く持たせています。

例えば、ルールや就業規則も会社が決めるのではなく、社員たちが決めています。結果、稼ぎ時の年末年始を休みにすることになりました。経営者の立場から言えば困るんですが(笑)、こういうホテルがあってもいいんじゃないかと思っています。

【星野】主体性重視という点は私も同様の考えです。スタッフ数が5000人いるので、なかなか就業規則を任せるというわけにもいきませんが(笑)。

特に力を入れてきたのは、各チームが自立して動けるような組織づくりや仕組みづくりです。私は、ケン・ブランチャード氏の著書『社員の力で最高のチームをつくる』に書かれているエンパワーメントの組織文化をそのまま実現することをめざしてきました。

スタッフをマニュアルで縛り過ぎるのはマイナスもありますが、組織には一定のルールが必要です。そのうえで、ルールを最小限にしても機能する組織にすることを目標にしています。そのためには、組織文化がフラットであり、構成員がマチュアーであることが重要です。

――企業の社会貢献に関してはどのような思いを抱いていらっしゃいますか。

【野尻】僕は、社会貢献活動は等身大でやらないと長続きしないと思っていて、当社ホテル事業ではそれを表現する「ソーシャライジング」をコンセプトにして、CSV(Creating Shared Value)戦略を取り入れています。TRUNK(HOTEL)では、再生木材を使ったインテリアや障害のあるアーティストが描いた絵画を館内に飾ったり、渋谷区と協力して、回収された放置自転車をアップサイクルして宿泊者がレンタルできるようにしたりと取り組んでいます。

社会貢献というと大きな話になりがちですが、僕は無理なく等身大でできることから始めることが大切だと考えています。どんなに良い取り組みも続かなければ意味がないですからね。顧客が日常生活や宿泊体験を通じて、自然と社会貢献活動ができる仕組みをつくっています。

【星野】なるほど。私の基本理念は、「民間企業の最大の社会貢献は本業の競争力を高めること」です。観光産業は地域のさまざまな産業と連携することが競争力強化につながり、それは同時に地域貢献にもなる内容が多いので、自然とCSV的な発想をし易いと言えます。例えば、地域の伝統工芸体験や食品ロスに関する活動、環境負荷が少ないリゾート運営などです。

観光産業において、もうひとつ本業を通じた社会貢献は雇用のあり方の変革です。観光業界は、従業員のうち非正規雇用の割合が約75%と、他の業界に比べて高いのです。競争力を高め、収益力を確保し、そして雇用形態を変えていくことは地方の人口の維持にもつながり、これも観光産業ができる大事な社会貢献だと思っています。

――今後の展開や目標などをお聞かせください。

【野尻】業界内の競争力を高めていきたいですね。資本が大きくなくても、企画力や独自の運営力を持った企業が参入しやすくするために、個人的にはMC方式(マネジメントコントラクト=ホテルを所有・経営している企業が運営の部分を別会社に委託する運営方式)が増えていけばいいなと思っています。その方が面白いホテルを展開する企業が増えて、業界内での切磋琢磨せっさたくまが進み、活性化につながると思うんです。

【星野】真剣に努力しているのは、海外での運営施設の展開であり、これはチャレンジングな分野ですが今行かないといけないと感じています。国内での運営施設数は今後も一定ペースで増加する見込みですので、大事になってくるのは星野リゾートらしい組織文化の維持と職場環境の充実だと考えています。観光産業を一流の産業として認めていただくためには、社員の処遇面でも他の産業に負けていてはいけないと思っています。

【野尻】処遇の引き上げは僕も重視しています。TRUNK(HOTEL)の社員の平均年齢は31~32歳で、業界平均より若い人たちが集まってくれていますし、平均給与も500万円と業界平均より高い水準を維持できています。処遇とやりがいを引き上げた結果として、社員エンゲージメントもかなり高くなっています。

僕たちは、今夏富ヶ谷にオープンするTRUNK(HOTEL)YOYOGIPARKを皮切りに30年までに20店舗以上のホテルを展開する計画です。事業が拡大していく中で、これらの取り組みを、従業員のやりがいを高めるための一例として業界全体に発信していきたいですね。星野さんが業界にイノベーションを起こしてきたように、僕も業界を変えていきたい。個々のホテルが強くなることが大切というお話がありましたが、ブティックホテルという新しい市場を日本に確立し、働く人が魅力を感じる環境や組織づくり、ADR向上のためのマーケティング手法などを発信することで、働き手にとってもお客様にとってもこの業界をもっと魅力的にできたらと思っています。