起業に関する困難な経験を糧に再チャレンジを目指す──。そんな起業家を輩出することで、多くの人が持つ起業への不安を払拭ふっしょくし、何度でも起業に挑戦できる機運の醸成を目指して始まったのが「東京都リスタート・アントレプレナー支援事業(TOKYO Re:STARTER)」だ。困難に直面した経験を糧に、再び起業等に挑む起業家が対象。アクセラレーションプログラムを修了した受講者たちは、それぞれのミッション実現を目指して奮闘中だ。企業やベンチャーキャピタリストらもTOKYO Re:STARTERに関心を寄せるなど、「何度でも再挑戦すること」の価値は着実に高まっている。

事業が軌道に乗り始めた受講生も

「参加していなかったら、今も立ち止まったままだったかもしれない」。そう振り返るのは、アクセラレーションプログラムを受講した起業家「リスタート・アントレプレナー(R・E)」の一人だ。倒産・廃業、大幅な赤字などを経験し、再チャレンジをためらう起業家は少なくない。しかし、苦しい経験から得た学びがあったからこそ、大きな成功につながった例が数多くあるのも事実。東京都が実施しているTOKYO Re:STARTERの目的は、「何度でも起業に挑戦できる機運の醸成」である。

これまでに、2020年度、2021年度で計40人が採択され、アクセラレーションプログラムを受講した。プログラムでは第一線で活躍する起業家、ベンチャーキャピタリスト、各分野のプロフェッショナルらをメンターに迎え、ミッションの策定から事業計画までを練り上げる。法人設立をはじめ、エンジェル投資家や銀行からの資金調達、サービスのリリースなど、まさに事業が軌道に乗り始めたR・Eたちもいる。「困難に直面した経験を糧にした再起業」というキーワードに向けられた社会的な関心は極めて高く、メディア関係者からの問い合わせも増加している。また、こうした確かな実績の影響により、事業の趣旨に賛同する金融機関が続々と現れるなど、広がりを見せている。

アクセラレーションプログラムは全15回(2021年度事業実績)。事業推進に向けたメンタリングのほか、先輩起業家や投資家などの協力を得て資金調達支援も実施。

事業の主な流れは次のとおりだ(2021年度実績)。まず、再起業に関心があれば誰でも参加できる「R・E交流プラットフォーム」がスタート。特別ゲストによる講演会・交流会(全4回)、過去の振り返りや事業への思いなどを再確認するワークショップ(全4回)を行い、リスタートに向けたマインドセットを身に付ける。

参加者のうち、プレゼン形式の審査によって選抜されたR・Eがアクセラレーションプログラムを受講できる。メンターとの対話の中で事業をブラッシュアップするメンタリング、起業家や投資家からのフィードバックを得るピッチ大会、受講者同士で気づきや悩みを共有する学び共有会などを経て、この3月、プログラムの総仕上げである成果報告会を開催。最長9カ月にも及ぶプログラムを通じて磨き上げた事業計画、展望を熱く語るR・Eたちの様子がオンラインで配信された。受講前後の変化や現在の手応えについて、2人の受講者が語ってくれた。

失敗のループから抜け出せなかった

加藤さおりさん

誰かのしたいことが、誰かに喜んでもらえる・楽しんでもらえる、人と人が共感し合うことに何よりも価値がある。そんな思いが加藤さおりさんの原点だという。これまでにエステサロンや化粧品会社を立ち上げ、ユニークなサービスは話題性も十分。やりがいは大きかったが、収益面は伸び悩んだ。「面白そうだと思ったらまずは始めてみる、失敗した時は引けばいいと考えていました。見切り発車しがちでしたから、スタッフたちは“ついていけない感”を強く覚えていたと思います。周囲にも社長らしさがない、うまくいくわけがないと言われましたが、失敗は重ねるほど糧になるだろうと“艱難かんなん汝を玉にす(※)”を座右の銘に進み続けてきました。でも実は、そこにハマって抜け出せなかった状態だったのだと思います」

次第に「市場に受け入れられないかもしれない」という不安が膨らんできた中で、TOKYO Re:STARTERへの参加を決めた。「ちょうど新たな事業を始めるタイミングとも重なっていたので、なんとか成功のきっかけをつかめればと考えました。リスタートという言葉の響きや受講者の方々の熱意に触れ、私もまた挑戦していいのだと勇気をいただきました」

※人間は苦労・困難を乗り越えていくことで玉が磨かれるように人格が練磨され、立派な人間になるとの意。

このままだとお客さまを幸せにできない

昆野美津子さん

ウエディングドレスデザイナーとして40年ものキャリアを持つ昆野美津子さんも、「誰かを幸せにしたい」という願いを原動力とする起業家の一人だ。知人の誘いでドレスショップの作品づくりに携わるようになったが、方針を巡る意見の相違で昆野さんが身を引くことになり、手元には資金も残らなかった。新たなパートナーと共に「妊婦専用のウエディングドレス」の市場開拓に乗り出すも、なかなか結果に結び付かず、再び一人になった。「元々自分の世界観に浸り、ものづくりに打ち込むのが好きな性格です。経営者になり切れず数字のことは置き去りでした。サービスの本質も履き違えていたと思いますし、このままだと私がつくったドレスで多くの方を幸せにするなんて、とてもできないと痛感しました」

そうして、思い切って飛び込んだTOKYO Re:STARTER。当初は「周囲のことを気にする余裕なんて全くありませんでした」と昆野さんは振り返る。「私はドレスで自分を表現できればいいと、思いをあまり言葉として伝えてきませんでした。営業に関しても何も分からないまま、沖縄から北海道まで飛び回りましたが、いったいどんなことを話していたのか……。そんな私の中にも、プログラムが進むにつれて自信が芽生えていくのを感じました」

全てを受け止めてくれたメンタリング

アクセラレーションプログラムの受講において、成長の分岐点はどこにあったのか。加藤さんは「ミッション策定までのプロセス」を挙げる。「メンターの方が親身に支えてくださったので、私も本音をさらけ出さなければ前に進めないと思いました。恥も外聞もなく、涙ながらに事業への思いを語ったこともあります。それを全て受け止めてくださったことはもちろん、受講生同士で励ましあったり、みんなから意見をもらってブラッシュアップしたりして、ミッション策定へたどり着くことができました」

昆野さんは、メンタリングで「常に肯定してくれたことが自信になった」と強調する。「褒められたらもっと頑張ってみようと思えましたし、気持ちがとても楽になりました。ある時期を境に、営業先での私の話し方にもはっきりと変化が現れ、ドレスを受注できる確率も高まりました。お客さまに安心感を与える口調になったからだと思います。以前はこの人で大丈夫だろうかと、不安を感じさせてしまっていたのでしょう」

成果報告会のオンライン配信後には、早速、受講生がベンチャーキャピタリストからアプローチされるなど、さらなる可能性のドアが開こうとしている。

ワーク・エンゲージメントの向上をテーマにした加藤さんの新規事業は、企業の福利厚生として、心を豊かにするための第3の環境を提供するサービスを展開するもの。慶應義塾大学との実証実験でエビデンス取得に取り組み、正式契約に至った企業もある。「周囲の支えがあるからやりたい事業を実現できるのだと、プログラムを通じて改めて実感しました。これまでなら耳をふさいでいた厳しい意見なども誠実に受け止めつつ、自分自身を進化させたいですね」

妊婦専用のウエディングドレスの全国展開、その先には海外進出を昆野さんは見据える。「このドレスを受け継いでくれる後進の育成にも努めたいと考えています。これからも困難が待ち受けていると思いますが、必ず乗り越えられる気がします。苦境に立った時には、TOKYO Re:STARTERで教わったことに立ち返ればいいのですから」

(2021年度の本事業は株式会社ボーンレックスが東京都より受託し運営)