顧客のニーズと向き合い“実需”としての住まいを
──これまでの事業の歩みから教えてください。
【島田】当社は1972年、新築一戸建て分譲事業などを手掛ける宝工務店として東京都板橋区で創業しました。90年代半ばから新築分譲マンション事業を本格的にスタートさせ、現在では、展開エリアが全国に広がっています。創業以来大切にしているのは、「誰もが無理なく安心して購入できる理想の住まい」というコンセプトです。時代が移り変わる中でも、お客さまのニーズと真摯に向き合い、“実需”としての住まいを提供してきました。
そこで力を発揮しているものの一つが、製販一体の事業体制です。マーケティング、土地の仕入れ、物件の企画、建築、管理までを自社で担い、培った経験やノウハウを次に生かしていく。バブル崩壊やリーマンショックといった時代の大波を乗り越えられたのも、そうした地道な積み重ねがあったからだと考えています。
──現在は、さらに幅広い事業を展開されています。
【島田】継続的な収益の確保に向けて、不動産管理事業や賃貸事業、ファンド事業といったストックビジネスも強化しています。また、太陽光などによるエネルギー事業も積極的に推進。マンション開発というフロービジネスを中心に据えながら、グループ経営の下でストックビジネスもバランスよく展開することで相乗効果を生み出し、それを成長の原動力としています。
──創業50年に向け、「ライフスタイルに、新常識を。」というグループスローガンを掲げています。どんな思いが込められていますか。
【島田】これまで蓄積してきた経験、知見を生かして固定観念を打ち破り、新たな住まいを提案したい。そして、人生・生活の質を高めるお手伝いがしたい。そんな思いを表現しました。ライフスタイルや住まいに求められるものが多様化する今、それをいかに受け止め、お客さまにどんな価値を提供すべきなのか。社内で議論を重ね、決定したスローガンです。その具現化に向け、新たな事業やサービスのアイデアを募る「新常識開発プロジェクト」もグループ全体で実施し、40ほどの提案が寄せられました。
──その他にも具体的な取り組みはありますか。
【島田】タカラレーベングループ創業50周年記念物件として、「レーベン横浜山手 ONE WARD COURT」「レーベン福岡天神 ONE TOWER」のプロジェクトが始動しています。この二つは当社のメインブランド「LEBEN」の現時点における集大成。半世紀の事業で積み上げてきたものを結集し、地域のランドマークとなる、また当社の今後の道しるべとなるようなマンションを目指します。さらに50周年記念事業として、独自のホテルブランド「ホテル ザ レーベン」も立ち上げ、2022年春のオープンに向けて準備が進行中です。
「7本の柱」の下でさらなる信頼獲得を目指す
──2021年5月発表の中期経営計画の狙いについて聞かせてください。
【島田】当社グループにとって、50周年はあくまで通過点です。そこで、今後もお客さまに選ばれる存在であり続けるために何をすべきかという視点から、アフターコロナを見据えた計画を策定。「ナショナルブランドの確立」を長期ビジョンに、目指す姿として「全てのステークホルダーから信頼される企業に」を掲げました。
同時に、グランドデザインとして「7本の柱」を設定。例えば第一の柱「コア事業のさらなる拡大」の下では、単に不動産の販売戸数を追求するのではなく、独立系デベロッパーとして業界で独自の地位を築いていきたいと考えています。
──「ESGへの積極対応」も柱の一つにしています。
【島田】従来力を入れてきた分野であり、社会からの信頼を得る上でも不可欠なものだと捉えています。業界に先駆けて推進してきた発電事業では、固定価格買取制度の枠組みに依存しない事業体制を構築しながら、太陽光発電に加え、バイオマス発電にも取り組んでいきます。
また、地方都市の人口減や市街地の空洞化が社会問題となる中、腰を据えて進めているのが、行政などと協力して行う地方創生のための再開発事業です。地域に根付いた事業を展開してきた私たちの強みが生きる分野であり、商業施設とマンションを一体化させるプロジェクトなどを展開。実績を積むことで、各地の自治体などから声を掛けていただくことが増えています。
──最後に改めて、来年の創業50年、さらにその後に向けた意気込みをお願いします。
【島田】当社が50周年を迎えられる大きな要因は、繰り返しになりますが、創業以来、安心できる住まいの提供という理念を愚直に守り抜き、それをお客さまが支持してくださったからだと思っています。一方で、未知の分野に挑戦し、時に壁にぶつかりながら、それを乗り越えて事業を拡大してきました。新規事業は始めるにも育てるにもエネルギーが必要ですが、現状維持は後退でしかない。やる前から諦めていては未来はありません。社員が新しいことに積極的に挑戦できる環境をつくるのが私の役割です。今後も“実需”の不動産供給というコア事業をぶれない軸に据えながら、次の50年に向けてチャレンジを続けていきます。