2018年の発売から3年、「本麒麟」はキリンビールの代表格ブランドへと成長した。だが、本麒麟の誕生前は麦系の新ジャンルでは連戦連敗、十数年もの間ヒット商品に恵まれなかったという。大逆転劇の原動力となったのが「お客さま本位」への回帰。お客さまの声を聞き、本質を突き詰め、半歩先のおいしさを提供し続けた結果だという。ものづくりに王道はない。その真理を思い知らされるような、開発者たちの探求と奮闘のものづくりへのこだわりに迫る。

“お客さま理解”をアップデートし続ける

「ひと言で言うと、お客さまにきちんと向き合ってきたことだと思います。麦系新ジャンルのカテゴリーで市場に定着する商品をつくることは、私たちの悲願でした。本麒麟の誕生前も10年ほどの間に多くの新商品を投入してきました。試行錯誤しながら改善を続けてきて、本麒麟の開発ではかなりの覚悟を持ち、お客さまの声に真摯に耳を傾けることを大切に進めていきました。その取り組みがお客さまに伝わって定着に至ったのだと思います」

「本麒麟」好調の理由をこのように総括するのは、キリンビールでマーケティング本部に所属する松村孝弘さん。本麒麟のブランドマネージャーの役割を担う人だ。顧客の声を聞くというのはものづくり全般に共通するセオリーのようにも思えるが、本麒麟の場合はその徹底ぶりに驚かされる。味わいの嗜好調査はもちろん、リニューアル前後の商品や試験醸造品の試飲、さらにパッケージの印象に至るまでその種類は広範に及び、調査内容によって5人程度のものから大きいものでは100人、200人の規模になる。常に何かしらの調査が一年を通して進行しているという。

マーケティング本部 マーケティング部 ビール類カテゴリー戦略担当の松村孝弘さん。本麒麟を含む新ジャンルのブランドマネージャーを務める

「お客さまのニーズや思いを言語化してそれを商品に落とし込むという工程を、開発時だけでなく現在も一貫して続けています。それは、お客さまの生活環境は常に変化し続けているから。特に昨年はコロナ禍で大きな環境の変化があり、お客さまの気持ちや生活への向き合い方も変わっていると思う。そうした変化に寄り添うために、私たちのお客さま理解もアップデートし続けているのです。調査ではもちろんネガティブなご意見を頂くこともあります。例えば“新ジャンルに興味がない”“赤が好きじゃない”と言われて落ち込むこともありますが、そういったご意見ほど貴重。どうやったら試してもらえるか、ということを考えるきっかけになります」

こうした調査以外にも、常日頃からお客さまの購買傾向の把握に努める意識が全社的に浸透しているという。そしてその意識を植え付けるきっかけとなったのが、2015年1月にキリンビールの代表取締役社長に就任した布施孝之氏の一声。「お客さまのことを一番考える会社になろう」というものだった。

「これにより判断基準が一つに集約されたことが大きかった。すべての部署がお客さまを一番に考えて行動するようになったのです。例えば進行中のプロジェクトでも、お客さまの声を聞くとアプローチが間違っていると気づくことがあります。それを軌道修正するのは、ほかの部署に迷惑を掛けることになるのですが、そんな場合も、お客さまにとって一番いいのはこっちのやり方でしたと、丁寧に説明すれば理解してもらえる。それは社長のメッセージが浸透しているからだと思います」

半歩先にボールを投げ続ける

この“布施改革”は生産の現場の常識も変えた。

本麒麟のおいしさの理由は大きく二つ、ドイツ産のヘルスブルッカーホップを使用していることと、長期低温熟成(※)という製法にある。前者は、ヒノキの香りやハーバルな印象を持つ良質なホップだが、キリンラガービールにも使われている高級な品種。後者は、麦汁の雑味や渋み、余計なたんぱくを削ぎ落として美しい味わいへと磨きをかける製法だが、その分時間がかかる。ともに採算の面から新ジャンルには向かないものと考えられていたが、本麒麟では一転してこの二つを採用している。

※キリンビール社主要新ジャンル比。キリンビール伝統の低温熟成期間を1.5倍にした製法

ドイツ産のヘルスブルッカーホップを使用。後出の大橋さん曰く「森林の中にいるような雰囲気が出せて、日本人との相性もいい」

「布施改革以前でしたら、きっとどちらも許可が下りなかったと思います」と話すのは、本麒麟の中味開発を担当する大橋優隆さんだ。

「正直に申しますと、本麒麟より前の開発ではマーケティングと開発と生産、工場ですね、それらが三すくみのような状態で、自分たちの都合しか考えていなかった。そんな状態では市場に定着する商品がつくれるわけありません。季節限定品も含めると新ジャンルだけで20や30種はつくったと思いますが、新商品を出してその年をしのいで、のちに生産終了ということの繰り返し。ヘルスブルッカーホップや長期低温熟成を新ジャンルに採用したいなんてとても言える空気じゃなかった。その流れを断ち切ったのが布施でした。自分たち都合の開発なんてやめよう、しっかりお客さまを見よう、と発して。これがなければ、本麒麟の味わいは生まれていないと思います」

マーケティング本部 マーケティング部 商品開発研究所 中味開発グループの大橋優隆さん。本麒麟の味の統括者。中味のレシピを開発し、全国9工場で同じ味わいを出せるようにすることが責務

こうして誕生した本麒麟は、発売当初こそ国内数カ所での生産だったが、予想以上の反響を得て間もなく全9工場での生産を開始。さらに発売後も布施改革の流れは継続し、好調を維持しながらも毎年、味わいのリニューアルを重ねている。

「お客さまが求めるおいしさとは刻々と変化するもので、今年一番の味が来年も一番とは限りません。ですから、お客さまのニーズの半歩先くらいにボールを投げ続けるという、チャレンジングなリニューアルを続けています。今年のリニューアルで目指したのは、家飲み需要の増加を受けて自宅でゆっくり楽しめるもの。ヘルスブルッカーホップを増量して、リラックス感や余韻のようなものを意識して設計しました」

リキュール(発泡性)②
今年3度目のリニューアルを果たした本麒麟。大麦とヘルスブルッカーホップを増量し、コクと飲みごたえがありながらも飲み飽きない味わいへとブラッシュアップ

リニューアルと一口に言っても、麦芽やホップ、大麦などの原材料の比率を1%刻みで試し、仕込みの温度を1℃単位で変え、時間を分単位で調整するなど、醸造方法の組み合わせは無限大。しかもその結果がわかるまでには1カ月以上の醸造期間を要する。毎回数十パターンを仕込み、その中から選ばれたたった一つが商品化されることになる。

「一度、リニューアルに向けた嗜好調査で自信のある試験醸造品を出したところ、調査員全員からダメ出しを喰らいました。そこで気付かされたのは、自分がおいしいと思うものではなくて、お客さまがおいしいと感じるものを出さなければダメだということ。ブランドとは自分たちとお客さまの間にあるもので、お客さまにこんなの本麒麟じゃないと言われたらそこで終わりです。今後、酒税の改正が進むとより一層、カテゴリーにとらわれずに一番おいしいものが求められるようになると思います。その時にも選ばれるブランドであるために、お客さまの声や変化をつぶさに拾うアプローチは当然続けていきます」

今後の展望については、前出の松村さんも同様のことを話す。

「本麒麟のビジョンは“すべてのビール類好きの毎日をうれしくする”ことです。もっと多くの人をうれしくできると思っていますが、ただその手法に飛び道具のようなものはないと思う。根本的には、お客さまの声を愚直なまでに聞いていく。そのうえで新しさや驚きを提示して、いつまでも新鮮さのあるブランドであり続けたいと思います」

ものづくりに王道はなく、おいしさにも近道はない。“お客さま本位”を徹底的に貫き通す開発者たちの姿勢に、本麒麟の好調の理由を見た思いだ。

(構成・文:デュウ 撮影:栗原雄輝)