20歳のときに路上で靴磨きを始め、34歳で世界一の靴磨き職人に上り詰めた長谷川裕也さん。同じく、昨年の国際品評会で世界的に高い評価を得たウイスキーが「キリン シングルグレーンウイスキー 富士」。そのブランドマネージャーを務めるのが根岸修一さんである。世界に認められることの意味と価値、その背景にある思いについて、世界のトップを知る二人が語り合う。

いいウイスキーの定義は一つじゃない

――まずは「キリン シングルグレーンウイスキー 富士」(以下、富士)について伺います。富士の開発はどのようにして始まったのでしょうか。

【根岸修一さん(以下、根岸)】われわれのウイスキーづくりは、1972年にキリン・シーグラムという会社で始まってから50年近い歴史がありますが、規模的には決して大きくなかった。おかげさまでキリンビールはビール類事業が好調ですが、ウイスキー事業にも約80億円の設備投資を蒸溜所に行い、力を入れていきます。今を新たなウイスキー事業の幕開けととらえ直し、われわれのウイスキー事業は何をしてきたのか、どこに向かうのかということを再定義することから始めました。

【長谷川裕也さん(以下、長谷川)】原点回帰していったわけですね。

【根岸】そうですね。日本のウイスキーは大麦麦芽のみを使用したモルトウイスキーが人気です。でもそれだけじゃないよね、もっと違うウイスキーもあるよね、ということをわれわれは昔から提案してきた。それをひと言にすると「ウイスキーは自由だ」ということなんです。今回、ロゴマークも一新したのですが、FのマークはフリーダムのFを意味しています。同時にわれわれの蒸溜所、富士御殿場蒸溜所のF、それといいものをつくるという、ファイネストのFも込めています。

2019年から「富士」のブランドマネージャーを務めるキリンビールの根岸修一さん。胸元に見えるワッペンが新しいロゴマーク

【長谷川】フィロソフィーを明確にするのは大切ですよね。僕も靴磨きの店を出すときに、Brift H(ブリフト・アッシュ)という名前にしました。Briftはbrighten footwear、靴を輝かすという意味の造語で、Hは手仕事なのでハンドのH、靴が疲れて帰ってくるホームのH、壊れた靴を直すホスピタルのH、お客さんを幸せにしたいハッピーのH、自分が靴磨きを通して伝えたいことを込めたんです。あとは長谷川のHでもあるんですけど。Fというロゴマークにフィロソフィーを込めて、その後はどのようにして?

【根岸】次に「ウイスキーは自由だ」ということをどうやって提案するかです。われわれの技術・強みを生かせて、お客さんが喜んでくれて、かついままでにないもの。そう考えた末にシングルグレーンウイスキーを最初に発売しようと思い至ったのです。

靴磨き専門店「Brift H」を展開する長谷川裕也さん。2017年にロンドンで開催された靴磨きの国際大会で世界一に輝いた

【長谷川】グレーンウイスキーとは何ですか?

【根岸】とうもろこしやライ麦などの穀物を原料とするウイスキーです。一方、モルトウイスキーの原料は麦芽です。なぜわれわれがシングルグレーンに決めたかというと、富士御殿場蒸溜所というのはスコッチ、バーボン、カナディアンの3種のグレーンをつくりわけることができる世界的にもレアな蒸溜所なんですね。1973年の創業当初からこれらをつくり続けているからこそ、グレーンウイスキーのカテゴリーでの世界的評価につながっているのです。

【長谷川】自分たちの一番の武器を押し出したわけですね。

【根岸】そうです。自信があるもの、自分たちがうまいと思うもので勝負しようとなったのです。

固定観念を変えるきっかけになる

――昨年、富士の30年熟成ものである「キリン シングルグレーンウイスキー 富士 30年」が、国際品評会で最高賞を獲得しました。これは最初から狙っていたのですか。

【根岸】目標にしていました。富士という新ブランドを立ち上げるのだから渾身のものを出そうと。先ほどのフリーダムの話にも関連しますが、自由とは仏教の教えでは、自らに由るということ。自分が信じる道を歩む、それが自由だと。だから「ウイスキーは自由だ」の意味は、お客さんに対してはウイスキーの可能性を広げますという意味だけど、造り手に対してはあなたたちの信じるおいしさをつくってほしい、と伝えています。それは私も同じことで、ウイスキー事業に携わる人間として自分がおいしいと信じるものをつくる、そういう覚悟でやっているつもりです。

【長谷川】いまの話には共感します。僕が靴磨きの世界大会に出るときも、心がけたのは自分の靴磨きを突き詰めることでした。無駄な動きをなくす、すべての動きに意味がある、ということから茶道に行き着いて、所作を勉強して。たとえ勝てなかったとしても、アイツの靴磨きは美しかったねと言われるような靴磨きをしようと思っていました。

「キリン シングルグレーンウイスキー 富士 30年」と合わせて、この「キリン シングルグレーンウイスキー 富士」もインターナショナル・スピリッツ・チャレンジで金賞を獲得した

【根岸】世界一になって、環境や意識に変化はありましたか?

【長谷川】すごくありました。靴磨きの大会を日本でも開催できましたし、海外からの靴磨きの依頼も増えました。あとうれしいのが、靴磨きから靴を好きになる人が増えていること。もともと靴磨きは末端というか、メーカーがあって革靴があって、さらにリペアラーがいてその先、いってみれば陰の位置づけ。そのメインストリームじゃないところで勝負してそれが日の目を浴びてきた経緯は、富士の話と近い感じがしました。シングルグレーンウイスキーが最高賞を取ったことで、ウイスキー業界に激震が走ったわけですよね?

【根岸】おそらくはそうだと思います。インターナショナル・スピリッツ・チャレンジという世界的な品評会があって、ジャパニーズウイスキーというカテゴリーで争います。シングルモルトも出品される中でわれわれのシングルグレーンが1位を取ったということは、モルトだけではなく、ほかにもいいウイスキーがあるということが認められたような思い。「ウイスキーは自由だ」という自分たちの主張が少し受け入れられたようで、単に賞を取ったこと以上に意味があると思います。

――富士も長谷川さんも、世界で認められることで固定観念を変えるきっかけをつくったような気がします。長谷川さんは、実際に富士を飲んでみていかがですか?

【長谷川】僕はお酒が好きでバーボンもよく飲むんですけど、飲んだ瞬間はバーボンっぽくて、その後にコニャックのような感じもします。ブドウっぽいというか。

【根岸】ブドウまで感じる方は珍しいですね。よくバニラとかメープルシロップと言われますが、ブドウっぽさもあるんですよ。われわれがお薦めする飲み方はワイングラスで飲むこと。白ワインのソーヴィニヨン・ブランに似た香りがあるので、それ用のワイングラスが相性がいいと思います。

長谷川さんは店のオリジナルボトルをつくってしまうほどのウイスキー好き。ほのかなブドウの香りもかぎわける

【長谷川】ロックグラスとは明らかに香りが違いますね。新しさがあってブランディング的にもいいですよね。

【根岸】ウイスキーというと男が暗い場所で氷をカラカラ言わせながら飲む、というような印象がありますけど、その逆に行きたかったのもあります。性別を問わず、新しい楽しみ方をご存じの方はいらっしゃるはずです。そういう方々に新しいウイスキーの形を届けたいという思いもありますね。あと、ウイスキーにほんの少し水を加えるとまた味わいが変わりますよ。

ブレンダーのお薦めはティースプーン2杯ほど加水すること。香りが広がるという

【長谷川】本当だ。バーボンっぽさがやわらいで、まろやかになる感じがします。こちらのほうが好きな人も多そうですね。
正直キリンビールさんにウイスキーのイメージがなかったので、今日は新しい発見でした。お酒は人生を豊かにすると思っているのですが、その豊かさがより広がりそうな気がします。今日はどうもありがとうございました。

【根岸】こちらこそありがとうございました。

(構成・文:デュウ 撮影:小林久井)