2013年5月2日(木)

内紛で傷ついた会社と社員を「あるべき姿」に導く -山崎製パン社長 飯島延浩氏

「人生の最悪期」を支えてくれた金言

PRESIDENT 2011年12月5日号

山田清機=構成 門間新弥=撮影
山崎製パン社長 
飯島延浩 

1941年生まれ。64年一橋大学経済学部卒業後、同社入社。70年取締役、79年1月常務、79年3月に現職就任。日本パン工業会会長も務める。ドラッカー研究所(米国)の理事を務めるなど経営学者ピーター・ドラッカーにも詳しい。

創業者の父・藤十郎が病を得たことが、私の苦しみの始まりでした。実弟である叔父に一時経営を委ねましたが、叔父は父の病状が回復しても「社主はまだ病気だ」と言い張り、主導権争いを繰り広げる事態になりました。1973年頃のことですが、この時期から父は教会へ通い始め、私も同道するようになりました。

父と一緒に必死で解決の努力をしましたが、私たちの意見は役員会でも否決されてしまう。私は問題を解決するには父、母、私の3者が心を一致させて対処する必要があると考え、両親に受洗を提案しました。3人揃って洗礼を受けたのは、73年7月15日のことでした。

ところがこのわずか11日後に、最有力工場である武蔵野工場が火災に遭い、生産設備が全焼してしまったのです。父は、「この火災は自分本位に仕事を進めてきたことに対する神の戒めです。これからは神の御心にかなう会社に生まれ変わります」と祈りました。

内紛は、父も叔父も会社を去るという「痛み分け」の形で終息しました。そして私は37歳という若さで、社長に就任することになったのです。このとき、私の胸にあったのは、次の言葉でした。

「あなたがたは苦しみなさい、悲しみなさい、泣きなさい。あなたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい」(ヤコブの手紙 4章9節、新改訳)

私の周囲の人たちは、みな私の社長就任を喜んでいました。しかし、「周囲の人」という垣根をパタリと倒してみると、その向こうには内紛で傷ついた大勢の人々が倒れていたのです。この人たちの苦しみ、悲しみを私のものにすれば、笑い出したいような喜びも、悲しみに変わります。社長になって30年以上たちますが、私は常にこうした思いで経営をしてきました。だから、長続きをしているのかもしれません。

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