私の自宅の机の上には聖書が何冊か積んであります。

作家 江上 剛氏

私と聖書の出合いは高校生のときに遡ります。1970年頃、私は兵庫県丹波で育った田舎の高校生でした。人並みに「人生とは何ぞや、人とは何ぞや」と思い悩んでいたからでしょう、何気なく聖書を購入し、教会にも行ったことがありました。

私はキリスト教の信者ではありませんが、以来、聖書はずっと持っています。第一勧業銀行(現みずほ銀行)に入ってからも、聖書、特に新約聖書は、いつも鞄の中に入れていました。通勤電車の中で読書をするとき、他の本に飽きると聖書を取り出してパラパラとめくるのです。

聖書はどのページをめくって、どこから読んでもいい。そうすると、いまの自分の状況をぴたりと言い当てている言葉に巡り合う。キリスト教とは何ぞやという学問的な難しいことを知らなくても、パッとめくったときの一言、あるいは一行が胸にグサッと突き刺さってきます。

それは何よりも言葉に力があるからでしょう。何か問題が起きて悩んでも、その一言で助けられ、支えられる。まさに「ワンフレーズ・ポリティクス」。非常に得難い「書物」だと思います。

私はこれまで、いろいろな事件に巻き込まれてきました。人生で2度も強制捜査を経験しましたが、逃げたことはないつもりです。おかげで少し逃げ遅れてしまったこともありますが……。

強制捜査の1つ目が97年に起こった第一勧業銀行の総会屋事件。第一勧銀が長年、大物総会屋に不正融資をしていたことが発覚したのです。当時、私は広報部の次長で、事件の真相を調査する社会責任推進室室長も務めました。