「受験の傷は受験でしか癒されない」

サンデーショックの年で、第1志望だった2月2日の御三家校にはギリギリ手が届かなかったが、他の受験校は全て合格。

受験期間中にすら子どもの学力は伸びるという話は本当だった。第1志望校を受験する代わりに「とてもじゃないが安全校にはできない」と塾から2月1日に受験させてもらえなかった憧れの共学校の、宝くじみたいな倍率の3次試験(5日)で驚異の合格をもらった。

ミラクルガールは第1志望を超えて第ゼロ志望に進み、「努力はちゃんと報われる」「だから努力するって悪いことじゃない」ことを伝えたいという私の意思は彼女に理解してもらえたような気がする。

だけどそんな美談よりなにより、母は「恋愛の傷は恋愛でしか癒やされない、なんてドラマで言ってたのと同じで、受験の傷は受験でのみ癒されるんだなぁ」と自分で実感した。並行して息子の幼稚園受験も進めていた私は、2人を無事に送り込んだある日の夜更け、過労で倒れて救急搬送されることになる。

「困った子」扱いだった息子

下の子である息子の受験では、英国で私立小学校受験をした時に、教育観というか人間観が塗り変えられるような経験をした。

息子は生来の圧倒的な好奇心の強さとコミュ力の高さで、4歳の渡欧以来信じられないスピードと正確さで英語を喋るようになった(その分、日本語が遅れたのは否定しない)。だがとにかく好き嫌いが激しくて、私は野猿を世話しているのだろうかと思うほど手がかかり、従順さや協調性を重んじる日本やスイスでは「困った子」扱いだった。

スイスのインターナショナル幼稚園ではハーバード大学院卒の幼稚園教諭に「この子はスマートで、自分のしたいこととしたくないことがはっきりわかっていて、大人の顔色を見ない。それは長所よ。今は手がかかっても、きっと15歳の頃には親が心から自慢に思える少年になるわ」と慰められたものの、英国へ移るとなって学校を探すことに。だがハリー・ポッターのホグワーツ魔法学校みたいにお上品なロンドンの学校にフリーダムな野猿の居場所はない。

そこに、英国人の穏和な大家が「あそこは旧男子校で古い伝統もあるけれど経営方針が先進的で、1クラスが多くて15人くらい。息子さんのように“自由な”子もチャレンジしてみるといいんじゃないかな」と、借りた家から一番近い小規模な私立共学校を勧めてくれた。

英国映画に出てきそうに美しいビクトリア式建築の小さな学校へ恐る恐る猿、じゃなかった、息子を面接に連れて行ったら、「英語力も高く、知的なお子さんですね。ここは元男子校ですから、男子というものに理解があります。集団生活の行儀に懸念がある、ですって? 普通の男の子ってみんなそういうものでしょう。だから学校に通うんですよ、僕らと勉強しましょう」と、驚くほど寛容な校長先生が優しさたっぷりに言ってくれて、全アタシが泣いた。