英国で知った「受験の意味、教育の意味」

息子はそこから2年間、1クラス8人の血統書付き仔犬たちにウッキャウッキャ混じって、「同じ釜のメシ友」状態でそりゃもう仲良く育った。

そうか、日本では「女子教育」っていう言葉しか意識したことがなかったけれど、英国には「男子教育」っていうものもあるんだ、と知った。伝統とは否定されるばかりじゃない。欧州の教養層に共通認識として流れる、幼少時の男女別学の伝統的合理性を理解したのだった。

教育を受けるのは、「足りないところがあるから、それを学び補い、伸ばすため」である。つまり学校に入る前は誰もが足りていない状態でいいのだ。足りていないから学ぶ、だから今はできなくていいです、で、あなたはここから私たちと一緒に楽しく前向きに学べる人ですか? それが受験する意味なのだ。受験する前に出来上がっている必要なんかない、「伸びしろ」を見られているのだ。

だから、学校受験なのに出来上がっていることを要求してくるように感じる選抜は、教育的な意味でちょっと違っている、つまりそれは学校と子どものレベルマッチングが失敗してるから、子どもの尻を叩くよりも学校選びをやり直したらいいんじゃないかな、と今の私は思う。

自分や子どもの人生を通して「受験の意味」をやっと理解したポンコツな母は、すべき受験とそうじゃない受験の判断がようやくできるようになった気がする。

教育の「投資効率」

まあそんなわけで、ここまでお読みくださった方はお察しの通り、私は子どもの教育にはかなりの金額を払ってきてしまった「投資効率の悪い」親だ。これってギャンブルだったら負け越しなのかな? でもなんだろう、ここまで本当に楽しかった。子育てや教育にどっぷり浸かって子どもたちと併走しながら、親として本当に色々なことを見聞きさせてもらい、学び、自分でもアウトプットしてきたと思う。

なんせ今回の息子のSFC入学に漕ぎ着けるまでも、全く順風満帆なんかじゃなかった。まず帰国子女なのに日本の普通の中高一貫校へ進学。中3の3学期からAO塾に入れて、一度高校時代に米国留学に送り出して、途中で日本の国立大学の英文小論文コンテストに入賞。それなのに帰国後、その自己推薦書をもって挑んだSFCのAO入試に落ちて、母は心労で胃が全部溶けるかと思ったけど、それも一般入試と海外大学入試に切り替えてなんだかんだほぼ全勝、どうにかここまでやってきた今となってはいい思い出だ。