会社を延命させるために…29歳で借金25億円を背負う

「若社長、ここにお名前と印鑑を」

全ての借入先を回り、連帯保証人の印鑑を押して回るのに1週間かかった。

「ようは、銀行側が貸し付けを継続する条件が、連帯保証人を一人増やすことだったんです」

当時弟たちは保証人になるには未熟で、長男の自分だけが連帯保証人として認められた。だから自分が選ばれたのだ。冷静になって会社の経営状況を調べて初めてことの重大性に気がついた。

年商は22億円なので、営業利益は4~5%程度で計算して、1億円ぐらいはあるだろう。対して負債は25億円。利息の返済だけでも年間1億円にのぼる。佐田さんが保証人に入ったおかげで銀行からは元本の返済猶予期間が延長されたため、しばらくは利息分だけ返済すればいいとしても、ギリギリなのには違いない。

しかし、バランスシートを見て絶望的な現実に気づく。この会社、3期連続8000万円の赤字を出しているのだ。どう考えても、会社が今まで回っていた方がおかしい。事実上倒産といっても過言ではない状態だった。

「29歳にして、総額25億円の連帯保証人になりました。自分は会社を立て直すために呼ばれたわけではなく、延命措置のために銀行に捧げられた人質だったんです」

佐田社長
撮影=プレジデントオンライン編集部
父の経営は完全に行き詰っていた。無数の借用書に連帯保証人の判を押すことが佐田さんの最初の仕事になった

さすがになにか策があるはずだ。父を問い詰めたが「お前なんかにわかるか」の一点張りだった。尊敬していた父の姿が、目の前で崩れていった。

「冗談じゃない、これは僕の人生がかかった話だよね⁉ 沈みかけた舟に、僕を乗せてどうするの。僕を陸に置いてくれていたら、助けられたかもしれないのに!」

次第に頭に血が上っていき、父子は会社でも自宅でもつかみ合いのケンカを続けるようになる。何を言ってもまともに答えない父に怒りは収まらず、父に対する暴言もエスカレートしていった。

「人の人生を何だと思ってるんだ、このクソオヤジ!」

幼いころから父に憧れ、会社を継ぐことをずっと夢見てきたのに……。行き場のない怒りに、手に届くものを何でも壁にぶつけて壊した。家には終わりなく佐田さんの怒号が響く。同居していた祖母は不安げに見守り、母は震えながら泣いていた。

「展隆、やめて! お父さんも大変なんだから、わかってあげて……」

母のすがるような声も、リビングの隅ですすり泣く後ろ姿も、佐田さんの心には届かなかった。

父との和解

1週間ほど、昼夜問わず感情をぶつけ続けるとさすがに疲れ、ふと冷静になる瞬間が訪れた。

「父に間違いを気づかせたいと思っていましたが、よく考えると気づかせたところで会社が倒産状態だという現実は変わらない。そのとき、あの世の祖父の顔が浮かんだんです」

「戦後の焼け野原から、俺が必死に立て直した会社を、お前たちは父子げんかの果てに潰したのか」と言われているような気がした。

「このままじゃ、天国の祖父に顔向けできない。でも今から会社を立て直すことは容易ではないでしょう。ならばダメならダメで、あっぱれなあがき方をしようじゃないか。あがき方があっぱれならば、祖父もよくやったと言ってくれるんじゃないかって思ったんです」

そうと決めたら父と話をしなくてはいけない。あっぱれなあがき方といっても、経験の浅い佐田さんにはアイデアが一つも思いつかなかった。