もちろん、死刑容認の人たちのなかにも理由をしっかり立てている人はいるのかもしれませんが、「死刑制度が現にあるから」という理由で、ただ直感的に死刑制度を容認する人たちもいます。この死刑容認の意見は「好き嫌い」とほとんど変わりがなく、「意見」と呼べるレベルではありません。私が議論した人のなかには「死刑は日本の文化だ」と言う人までいて、こうなるともはや価値観そのものの対立として、議論することすら難しくなってしまいます。

こうした矛盾した理屈の例は枚挙にいとまがありません。ネットにかぎらず、テレビに出ている論者から、政府、与党、野党に至るまでダブルスタンダードのように見える言説げんせつが散見されます。

価値観にさかのぼって理屈を組み立てるといい

ただし、ダブルスタンダードのように見える言説が、たしかにただのダブルスタンダードなのか、あるいは深い思惟しいに導かれたものか、それに気づく訓練も必要だと思います。そういう視点で、巷間こうかん伝わっている言説に触れてみることもまた議論力を高める一助となるでしょう。

ここで死刑制度の是非の議論を取り上げたのも、死刑を認めるにしても否定するにしても、自らの価値観にさかのぼってその理由を考え、理屈を組み立ててもらいたいと考えたからです。

人権人道主義のように、自分のなかで通底している価値観を自覚できていると、他者の理屈に振り回されにくくなります。裏を返せば、価値観がしっかりしていない人は、他者の理屈に流されやすいということです。すると、議論に弱くなります。

なまじ筋が通っている理屈が意外と多いからこそ、理屈に触れるときには、自分がもっとも大切にしている価値観、自分がもっとも信頼している価値観に、つねに立ち返る癖をつけておきましょう。

まとめ
・「価値観」を伴わない理屈は単なる「屁理屈」で、「意見」とは呼べない。
・「価値観」とは、自分の立場に首尾一貫性をもたらす背骨のようなもの。
・理屈に触れるときは、自分がもっとも大切にしている価値観に立ち返ろう。

話し合いは、先に相手に多く話してもらうほうがいい

相手がどういう事実に注目し、どんな価値観に基づいているのか、どの程度の知識量をもっているのかは、議論を戦わせるうえで重要な情報です。

そこで意識したいのが「会話占有率」です。

会話占有率は、相手から話を聞き出すときにはとくに重要です。自分が話す時間が多くなれば、それだけ相手から聞き出す時間が減ります。プレゼンなど、自分から多くを話すべきシチュエーションは除いて、最初は相手に多く話してもらいます。

オフィスで会話をする人たち
写真=iStock.com/recep-bg
※写真はイメージです