「性格は暗めでネガティブ思考です。中高時代も一般的に明るいといわれる麻布生の中にあって、いつも隅っこにいるようなマイナーキャラ。小学生の頃から本の虫で、完全な文系だったんですが、生物好きが高じて高3のときに理系に方向転換しました。昆虫の研究者になりたかったので京大を目指すべきか迷いましたが、塾で密かに好きだった女の子が東大を受験しそうだと知り、最終的に僕も東大に決めて。それなのに、その子は別の大学を受けていた(笑)」

そんな話を聞くにつけ、気になるのはなぜアナウンサーになったのかということだ。桝さんによれば、転機は大学院の1年の時だったという。

「大学院にはすごい人たちがたくさんいて、自分は研究者としては一流になれないと悟ったんです。じゃあ、自分に何ができるだろうと考えた時、浮かんだのがメディアの仕事でした。多少なりとも理系の知識は持っているので、難しい科学などの話をわかりやすく伝える懸け橋にはなれるのではないかと。ただし、当初の希望はテレビ番組のディレクター。昔からNHKのドキュメンタリーが大好きだったんです。その試験の前にメディアのことが少しでもわかれば、と、先行していたアナウンサー試験にエントリーをしたら、幸運にもご縁をいただいた。アナウンサーという仕事は人前でしゃべる、空気を読む、笑いを取るなど、僕が人生でカットしてきたものを全て必要とする職業。これは自分の殻を破るチャンスだと思って入社を決めました」

当然のことながら、父親や大学院の教授は渋い顔。その中で、唯一、喜んでくれたのは母親だった。

「思い返すと、小学生の時、母親にはよく『福澤さん(元・日本テレビアナウンサーの福澤朗さん)みたいになれるといいね』と言われていました。ファンだったんでしょうね。その記憶が頭の片隅にあったから、この道に進んだのかもしれません」