国債という「麻薬」の中毒から抜け出せなくなっている

その後、多くの国では、国民の投票で議会や政府が形成され、国民の日常生活を支える現在の統治制度が定着します。納税者と公共サービスの受益者は、議会や政府を媒介させることで一致したのです。国民は納税者であり、かつての王様のような主権者にもなったのです。「王様」が多くの公共サービスを期待するなら、その費用もまた、「王様」の負担のはずです。

しかし、ここに抜け道が出来ました。現状の課題を解決するために、税負担を増やして費用を調達するのではなく、国債を発行し、支払いを次の世代に先送りしてしまうという方法です。これは、現世代の痛みを緩和する「麻薬」とも言えます。麻薬も適切に使えば、麻酔効果で良薬になるように、不況で税収の少ない時に利用し、景気が回復し、税収が増えたら、まず借金を返済していけば、麻薬中毒にはなりません。しかし、一度楽になると忘れられずに使い続けて、結局、中毒症状から抜け出せなくなっているのが現状ではないでしょうか。

メタリックブルーとピンクの背景に日本円のシンボル
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麻薬のような国債を気楽に使い続ける怖さ

財政を患者にたとえれば、健康状態の管理を預かる主治医は政治の役割でしょう。財務省をはじめとする官僚機構は、主治医の指示で治療にあたる担当医でしょうか。

政治において、立派なビジョンや政策は必要条件ですが、それだけでは政治を動かすことはできません。実行するための地位、権力が必要です。それらの条件は、主権を持ち、投票権を持つ国民の投票によって与えられます。投票によって選ばれて、はじめて政策を実行することが可能になる。大事なのは、政治の側が、権力を得るためではなく、「何をなすか」ということを国民の前で堂々と訴え、国民の良識に期待する気概を持つことでしょう。

また、国民、有権者側にも麻薬のような国債を気楽に使い続ける怖さを理解していただきたい。選挙のときには華やかな公共事業など大きな公共サービスを公約にする政治家も登場しますが、うっかり投票しないよう留意していただきたいと思っています。国債という麻薬を使って、過剰な公共サービスの充実を公約に掲げ、投票を求める姿勢は底が浅く、この先は国民に段々と受け入れられなくなることを期待しています。