では誰が作ったのか

さて、平仮名を作ったのが個人ではないとして、どういう人「たち」が平仮名を作ったのでしょう。

平仮名というと、女性の文字のイメージがありますが、誕生したての頃の平仮名の資料で、明らかに女性が書いた、という証拠があるものは一つもありません。

平仮名に女性のイメージが付いたのは、平仮名が文字として成熟してからのち、女性、特に宮中に仕える女房と呼ばれた人たちによって、日記や随筆や物語といった平仮名で書かれた文学が花開いたためでしょう。でも、それは平仮名そのものの誕生とは別の話です。

いっぽうで、初期の平仮名の資料には、男性が書いたことが明らかなものはいくつか存在しています。「有年申文ありとしもうしぶみ」と呼ばれている資料はその一つです。

これは、現在は東京国立博物館に所蔵されていて、書かれた年代が明らかなものでは最も古い平仮名の資料でもあります。

讃岐介という職(今で言えば香川県の副知事でしょうか)にあった藤原有年という男性貴族が、貞観9(867)年に書いたもので、漢文の中に平仮名が交ぜられています。

その他にも、円珍(814年生〜891年没)という僧侶が最晩年、病床で書いた手紙「円珍病中言上状」(園城寺蔵)の末尾にも平仮名を交ぜて書かれた文が見えます。

使い手は教養がある人ばかり

平仮名というと、もう一つ、漢字や漢文が書けないような人たちの文字、というイメージもあるかと思います。後の時代の平仮名についてはそういった側面もなくはないのですが、平仮名を生み出したのがそういった人々であったとは、やはり言えません。

誕生したての時期の平仮名の使い手たちを見ると、藤原有年は、トップクラスとは言えませんが、いわば実務官僚ですし、円珍に至っては、平安時代の天台宗を代表する高僧の一人です。

むしろ、漢字を使いこなせないような人たちに、漢字から独自の文字を生み出すことが出来たと考える方が不自然でしょう。