1992年に誕生した『TVチャンピオン』(テレビ東京)は、なぜヒットしたのか。社会学者の太田省一さんは「それまでにはなかった、素人のすごさをストレートに見せることに徹した番組だったからだ。TVチャンピオンはテレビ界に革命を起こした」という――。
参院の国際経済・外交に関する調査会に参考人として出席し、意見陳述する東京海洋大客員准教授のさかなクン=2020年2月12日、国会内
写真=時事通信フォト
参院の国際経済・外交に関する調査会に参考人として出席し、意見陳述する東京海洋大客員准教授(=当時。現在は客員教授)のさかなクン=2020年2月12日、国会内

どこか頼りなげだった17歳の「さかなクン」

昭和から平成にかけて放送されていた「ヤバい」番組を振り返る。「ヤバい」は、むろん悪い意味だけではない。常識破りで、新たなトレンドを生んだという良い意味でもある。その第一弾は、昨年末復活したテレビ東京の『TVチャンピオン』。

毎回特定のテーマで自慢の技や知識を競い合うこの番組は、それまで民放キー局とはいえ弱小だったテレビ東京が一目置かれるテレビ局になったきっかけの番組、そして「素人」という存在に新たな角度から光を当てた番組でもあった。そこから生まれた最大のスター、さかなクンのことから話を始めよう。

その新星は、突然現れた。1993年5月6日放送の『TVチャンピオン』の「第3回全国魚通選手権」。タイトル通り、魚類に関する知識をさまざまなかたちで競う企画だ。

集まったのは、魚のことなら任せろという5人。第1回、第2回と連覇した54歳の会社員、33歳の水産試験場職員、元漁師の29歳タクシードライバー、市場通いが日課という38歳男性など、いずれも猛者ぞろいだ。

ところがそのなかにひとり、よく見ると詰襟の制服を着た17歳の現役高校生がいる。絶対勝ってやるという闘志を表に出した他の大人たちに比べ、やせていてどこか頼りなげ、ちょっとか細い声で話すその少年の名は宮澤正之。後のさかなクンである。これが『TVチャンピオン』初登場だった。

最初のあだ名は「オタッキー宮澤」

この番組では、競技が始まる前にスタジオでMC陣と観覧客が競馬に見立てて優勝予想をする流れになっていた。ここでも宮澤少年は、MCの田中義剛、松本明子、東ちづるの話題の的に。

好きな魚がネコザメ、しかもそれを飼育して餌付けしているという紹介があったため、魚へのマニアックすぎる愛に驚いた松本明子は「オタッキー宮澤」などと呼んでいた。だがさすがに観覧客で優勝を予想したひとは最も少なかった。

しかしいざ始まってみると、宮澤少年の魚通ぶりは予想をはるかに超え、こちらの度肝を抜くものだった。