「知的能力」だけは取って代わらないと思い込んでいた

答えは、明らかです。人間は、他の動物や人工物が逆立ちしても敵わない能力ないしは機能を持っており、それを備えていることに自らの尊厳や「かけがえのなさ」を見出してきたからです。

さまざまな凌駕機能体が登場し、さまざまな能力が乗り越えられ、凌駕されたとしても、そのような、自分が一番だと言える能力や機能――それを「一番能力」ないしは「一番機能」と呼びましょう――に関する優位性が保たれている限り、人間の自負心や尊厳は安泰だったのです。

そのような人間にとっての一番能力ないしは一番機能とは、言うまでもなく「知的能力」です。

人間は、その「知的能力」に関しては、この地球上のあらゆる存在よりも優れており、それをもっている限り、例えば移動や運搬といった仕事が機械によって次々に取って代わられたとしても、その「知的能力」に関してだけは、凌駕機能体による代替は起こらないし、起こりえない。人間は、そのように考えていたのではないでしょうか。

凌駕機能体によって置き換えられることを「かけがえのなさ」の喪失だとすると、知的能力に関してだけは、そのような喪失は起こらない。このように「知的能力」は人間の「かけがえのなさ」、そしてそのような「かけがえのなさ」としての「尊厳」の「最後の砦」だったのです。

光る脳のイメージ
写真=iStock.com/BlackJack3D
※写真はイメージです

生成AIの開発をやめる以外の選択肢は取り得るか

しかし、AIの登場によって、この「最後の砦」も危うくなってきました。いわんや、AIが人間の知的能力を凌駕するシンギュラリティが起こってしまえば、「最後の砦」もついに陥落の時を迎えることになります。

人間の「かけがえのなさ」や尊厳、さらには自尊心や自負心を支えていた「最後の砦」である「知的能力」という「一番能力」に対してすら、ついに凌駕機能体が登場し、結果として、人間の「かけがえのなさ」や尊厳が失われ、自尊心や自負心がズタズタになる。これが「人間失業」です。シンギュラリティとは実は、このような人間失業をもたらす事態でもあったのです。

では、人間失業、すなわち人間としての尊厳や「かけがえのなさ」が失われる事態を防ぐためにはどうすればいいのでしょうか? 人間の知的尊厳を守るために、生成AIなどの開発をやめるべきなのでしょうか?

そのような発想も当然ありえます。しかし、ここではそれに対するオルタナティブ、別の道を考えてみましょう。