のんき暮らしをするなかで芽ばえた焦り

このように、まともな家庭や定職がある人だったら「やりたくともできない」「意味不明」とあきれられるだろうセミリタイア生活を満喫しながら、2020年8月31日からの3年4カ月ほど過ごしてきた。まったく、のんきな日々である。しかし、東京にいたころ付き合いのあった同世代の知人たちは粛々と日々の仕事にあたっていたり、子育てに奮闘していたりする。会社員時代の上司のなかには70歳が目前に迫った人もいれば、定年間近という人も少なくない。

そんな彼らの様子をフェイスブックで見たりすると、「思えば遠くへ来たもんだ」と感慨にふけることが多い。同時に、長年付き合いのある彼らが50歳で転職をしたり、昇進してナントカカントカマネージャーの職についたりなど、成長を止めない姿勢に触れて畏怖の念を抱いてしまう。

現在、自分は一切ストレスのない仕事だけを細々と続けながら、遊び惚けているだけのモラトリアム生活である。「それでいい」と思ってきた。だが、最近になって「日々、前へ進み続けている彼らと、成長度合いで差がついてしまっているのでは……」といった焦りの感情が芽ばえてきたのだ。

信号待ちをする通勤する人々
写真=iStock.com/Free art director
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「仕事に邁進する日々」に対する未練

もともとは「もう十分、働いた」「ワシにこれ以上、ストレスはいらん。勝負から降りたわ」というスッキリとした感情からスタートしたセミリタイア生活だった。でも、冒頭で触れた新規業務に従事することにより、どこか「職業人としての日常」「仕事に邁進する日々」に対する未練が生じ始めてしまった。「そのような気持ち、金輪際抱くことはない」という根拠なき自信はあったのだが、それが崩れたのである。

大都会で暮らす彼らとはかけ離れた場所(つまり「非都会」)に住み、日常のレジャーは釣り、クワガタ採集、SUP(スタンドアップ・パドルボード)、サイクリング……といった生活。収穫したばかりの農作物をおすそわけしてもらったり、イノシシの解体作業に参加したり、知人関係のライブやフェスにフラリと出向いたりといった暮らしぶりは、東京時代の自分には考えられないことばかりだ。

しかも東京に比べて「アポイント」の概念が希薄なのか、いきなり「いま近くにおるけん、飲み行かん?」なんて誘われることも多い。「家におると? シラスが今年初めて獲れたけん、持っていくばい」などと、折に触れてモノをわけてくれたりもする。たぶん、それが唐津の生活文化なのだろうが、42年以上住んでいた東京とかけ離れた時間の流れ、暮らし向きというものは、やはり夢見心地である。