盛岡で育った人たちにとっては、懐かしい青春の味なのだ。現在も盛岡市内の大学3校、高校5校ほどで販売している。福田社長は「洗脳ですね」と冗談っぽく話すが、すっかり福田パンのファンになったかつての学生たちは、卒業した後も店に通い続けることが少なくない。福田社長はこんなことがあったと語る。

「ある年のゴールデンウィーク、本店で2時間待ちの行列ができて、私が駐車場の整理をしていたんです。そこに小さな子どもを連れた夫婦が歩いてきて、ご主人が『学生のころ、よくここに買いに来たんだ。思い出の場所だよ』と話していました。それを聞いた時は嬉しかったですね」

テレビ番組で紹介され、コッペパンブームが広がる

とはいえ、まだまだ岩手エリアに閉じた存在だった福田パンが全国区になったのは、福田社長の記憶によると2016年のことである。同年2月にご当地グルメなどを紹介するテレビ番組「秘密のケンミンSHOW」(日本テレビ系列)で取り上げられた。

「放送の翌朝、いきなり店の前に150人ほどが並んでいました。それから3日間、私も寝ずに働きました」

福田パンがテレビ番組で取り上げられるとコッペパンブームに火が付いた。
撮影=プレジデントオンライン編集部
福田パンがテレビ番組で取り上げられるとコッペパンブームに火が付いた。

さらに5月、バラエティ番組「嵐にしやがれ」(日本テレビ系列)で紹介されたことで、福田パンの名が一躍全国に知れ渡るように。以降、休日になると県外から客が大挙をなしてやってきた。それがコッペパンブームの始まりとされている。

似たような店が続々、バブルだと割り切る冷静さ

同時期にドトール・日レスホールディングスの子会社が運営するコッペパン専門店「コッペ田島」や、明らかに福田パンを意識した「盛岡製パン」というチェーン店などが相次いで登場した。こうしたブームをどう見ていたのか。

「正直言ってうちも儲けさせていただいたので……」とはにかみながら、福田社長は続ける。

「これはバブルだからと割り切って、工場も製造設備も特に大きくすることはなく、会社の規模も広げることはありませんでした。親父からの教訓です。以前、青森の寿司屋がコンビニで商品化されて爆発的に売れたので、工場をもう一つ建てたそうです。ただ、商品の売り上げが落ちて契約解除された結果、簡単に会社がつぶれてしまったと、親父がよく話していたのを肝に銘じていました」

他方、空前のブームで福田パンの店舗は連日大混雑に。地元客に迷惑をかけてしまったと福田社長は嘆く。

「うちはあくまでも地元のお客さんを相手に商売をしてきました。ブームに関係なく、地元の人たちはずっと買ってくれていました。それが、いつも混んでいて買いに行けなくなったのは申し訳ない気持ちでいっぱいです」

今はブームも落ち着き、平日は地元客、休日はそれ以外の客と、棲み分けができつつあるそうだ。

福田パンの矢巾店
撮影=プレジデントオンライン編集部
福田パンの矢巾店。赤色の軒先テントがよく目立つ。