経営者になることを決めたのは小学生の頃

リブセンス社長 
村上 太一
(むらかみ・たいち) 
1986年、東京都生まれ。早稲田大学高等学院卒。早稲田大学政治経済学部卒。大学1年生のときに創業し、25歳にして最年少の東証1部社長に。尊敬する経営者の1人は、日本電産の永守重信社長で「永守社長に関する本は何冊も読んでいる」。

連続して記録更新だ。昨年12月、村上太一社長率いる株式会社リブセンスが東証マザーズに上場を果たした。上場時、25歳1カ月。それまでの最年少記録だったアドウェイズ岡村陽久社長の26歳2カ月を大幅に更新した。さらに今年10月1日には東証一部へ市場変更。キャンドウの城戸一弥社長を抜き、東証一部上場の最年少社長となった。村上は、屈託のない笑顔でこう語る。

「記録更新は狙っていました。会社を起こしたのは19歳のとき。最年少で上場が可能なスケジュールでしたから、それならいっそ目標にしてみようと」

リブセンスは、アルバイト求人サイト「ジョブセンス」の運営で急成長を遂げた。求人サイト事業は、媒体のブランド力がものをいう。なぜ後発の同社が躍進できたのか。その背景には、業界の常識を覆した独自のビジネスモデルがあった。

一般的な求人サイトは、求人企業からの求人広告をメディアに掲載した時点で料金が発生する。一方、ジョブセンスの場合、求人情報の掲載は無料。採用が決まった段階で課金される成功報酬型だ。求職者の集め方もユニークだ。ジョブセンスを介して採用されれば、求職者は最大2万円の「祝い金」がもらえる。これが他サイトとの差別化になった。

祝い金制度は集客だけでなく、成功報酬型の弱点を補う効果もある。成功報酬型の場合、採用の決定を隠す企業も現れかねないが、採用が決まれば求職者から祝い金の申請があり、企業はごまかしがきかない。じつによく練られたビジネスモデルだ。

アイデアの原点は、高校時代にあった。バイトを探していた村上は、飲食店やコンビニの店頭でバイト募集中の張り紙を見かけるわりに、それらの情報が求人サイトに載っていないことに気づく。仕方なく自転車で隣町まで張り紙を探しに行ったが、「IT時代なのに、ネットではなく自転車か」という不満が胸に残った。

「不満の解消がビジネスの基本です。なぜ張り紙をする店がネットに求人情報を載せないのかと調べていたら、掲載に広告料がかかることがわかりました。そこから今の成功報酬型モデルの原型を思いつきました」

高校生の時点で既に起業家精神に溢れていた村上だが、経営者になることを決めたのは小学生の頃だった。

「昔から人に喜ばれることに自分の幸せを感じるタイプで、それができる職業に就きたいと考えていました。たまたま両祖父が経営者で、選択肢の1つになった。身近に政治家がいたら、そっちを目指していたかも」

高校入学後、簿記とシスアドの資格を取り、起業家向けイベントに参加して仲間を集めた。早大進学後、1年生にしてビジネスプランコンテストで優勝。オフィス1年間無料の特典をえて、翌年に仲間4人と会社を立ち上げ、開業資金300万円を節約するため、登記は自力でやった。

そこから6年弱で上場を果たし、今や村上は20代を代表する起業家の1人になった。若者の安定志向が強まる中で、起業して積極的にリスクを取りにいく最年少社長の姿はひときわ目立つ。しかし、本人は「リスクは嫌い」という。

「これからの時代、企業や年金に頼ることのほうが怖い。本当の安定とは、個人でもしっかり生きていける力を身につけること。そういう意味では、私も安定志向です」

現時点の自分の力に満足しない。

「イーロン・マスク(スペースX社・テスラモーターズCEO)のように、次々と事業を生み出していく人に憧れます。若いということは、成長の余地があるということ。これからも、変わり続けたいですね」

(宇佐美雅浩=撮影)
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