「お父さんのところに行くチケットを持ってきて」

私は在宅医療を中心におこなっている医師だ。おのずと高齢者やがん末期といった人たちを多く担当することになる。そういう人たちのなかには、自らのことを「もはや誰の役にも立たない生きる価値のない人間だ」として、「一刻も早く死なせてほしい」と言う人もいる。

ベッドの上のシニアの手元
写真=iStock.com/Anzhela Shvab
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以下は私が訪問診療で担当した末期がん患者さんとのエピソードである。

90歳の女性Aさん。余命は1カ月程度と前の主治医に宣告されており、本人も自分の状態をすべて把握し受容している。認知症はない。がんを患う前までは、楽しみである買い物を満喫していたものの、コロナ禍で外出がままならなくなったその期間に、がんが発覚。手術を受けたもののすでに進行しており、数カ月後に再発してしまった。

初回訪問時からAさんは私に、

「もう十分に生きた。これ以上、もう何もしなくていい。先生にひとつお願いしたいことがあるとするなら、早く“あの世”のお父さんのところに行くチケットを持ってきてほしい。それだけです」

との強い希望を繰り返し訴えた。幸いがんによる強い疼痛はなかった。

その本心は、家族への気遣いだった

むしろAさんの苦痛は、

「こんな身体になってしまって、何もできない。誰の役にも立っていない。このまま生きていたってしょうがない」

という気持ちに苛まれていることであった。死を近い将来に控えたそんな彼女が、自身の“不甲斐なさ”をとくとくと語る姿を、同席していた研修医も真剣な面持ちでうなずきながら傾聴していた。

また「早く死なせてほしい」との希望とともに、「病院にでも施設にでも入れてほしい」とも言っていた。しかし、研修医とともによくよく話を聞いてみると、「家にいたくない」という理由からのものではなく、「何の役にも立たないうえに家族に迷惑をかけたくない」という気持ちに由来するものであることがわかった。つまり「早く死なせてほしい」という希望のなかにも、家族への気遣いが多分に含まれていたのだ。

そしてさらに聞くと「いられることなら最期まで家にいたい」という“本当の気持ち”も浮かび上がってきた。こうしてAさんの「希望」にある深層が見えてきたことによって、家族も交えて「人生会議」を行い、最期まで少しでも苦痛なく家で過ごせるよう、医療と介護の両面からAさんと家族をサポートする準備を開始することができたのである。