目の前のことだけでなく「背景」にも目をむける 

観察すべきは、子どもたちだけではありません。講演を企画した先生も観察する必要があります。もし、先生方が熱心で普段から読書の指導に力を入れていたとしたら、同じ方向性のキーワードを織り込んで講演で話してみるのも効果的です。すると、あなたの講演と学校側の主張に一貫性が出てくるので、子どもたちに受け入れてもらいやすくなるでしょう。

逆に観察を怠り「自分が話したいこと」や「自分が知っていること」だけで、内容を構成するのは御法度です。「自分には関係がない話だな」「誰にでも当てはまる話だな」と聞き手の関心を遠ざけてしまうのみならず、話し手の観察が足りないことや、付け焼き刃の内容であることが、簡単に見破られてしまうのです。

そもそも、「母校で読書についての講演をする」というシチュエーション自体はとても稀かもしれません。しかし、自分の勤めている企業の研修や、ちょっとした地域の集まりなどで、自己紹介をしたり、人前で一言、話す機会や、友人の結婚式でのスピーチなどもあるでしょう。そうした場面においても、日常的な会話の場面でも相手を観察するときの着目点は同じです。

「心地良い話」に正論は要らない

たとえば、以前、友人の結婚式で「今月は週末のたびに、結婚式のスピーチを頼まれてしまって……」と、前置きをしてから、新郎側のゲストとして呼ばれていた議員の男性が話し始めていました。

「週末のたびに」とは、それぞれの結婚式を軽く見ているうえに、まるで自分が大変な思いをしているとアピールしているかのようですし、「頼まれてしまって」とは、失礼なうえ、面倒そうな印象を与えてしまうため晴れやかな結婚式の場にはまったくふさわしくないメッセージです。そもそも、自分が毎週末、結婚式のスピーチを頼まれたという個人的な話は、会場にいた人たちにはなんら意味のない「どうでもいい情報」であることを観察できなかったことが問題なのです。

要するに、「話す」「伝える」という場面では、常に相手を主体に置いた内容を組み立てることが重要なのです。それをしない限り、相手が安心したり、満足したり、快く納得してくれるようなメッセージを生み出すことはできないといえます。逆に相手の置かれた状況や、相手が求めていることを観察した情報から、自分が相手のためにできることを探して言葉を分別できれば、失言することはまずありません。

発言の前には、相手に喜んでもらえる言葉も傷つける言葉も、同時に把握しておきたいものです。正論やあなたの意見は、決して間違いではないかもしれません。しかし、それらが相手にとって求められているのか、相手が心地好く思える話であるのか。それらを分別できる判断材料を、観察によって得られるかどうかが問題なのです。

聴衆の前でスピーチをする人
写真=iStock.com/Cecilie_Arcurs
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