クリティカル・コアで「自滅の論理」を誘う

戦略ストーリーの「起承転結」における「承」に当たるのが、他社との「違い」である。戦略では他社との違いをつくっていくわけだが、それらは社会にとって「良い」ことでなくてはならない。要は「他社と違った良いことをやれ」といっているのだ。

しかし、ここには大きなジレンマがある。そんなに良いことであれば、とうに誰かがやっているはずだ。また、皆にとって良いことなら、すぐに真似をされて違いがなくなってしまう。

そんなジレンマを乗り越え、戦略ストーリーの因果論理に一貫性を持たせ、競争優位を持続させながら長期的な利益を獲得していく源泉になる「中核的な違い」が「クリティカル・コア」という発想だ。このクリティカル・コアとして認められる条件には、「他の『違い』と多くのつながりを持っていること」と、「一見して不合理に見えること」の2つがある。

先ほどのスターバックスの場合にはこうなる。他社との違いには、(1)リラックスできる雰囲気の店舗、(2)一等地への集中的な出店、(3)一貫した直営店方式、(4)顧客とのコミュニケーションを大切にするスタッフ、(5)高品質のコーヒーに代表されるメニュー――が存在する。これらの違いをつなげていく因果論理を考えると、直営店方式が他の要素と多くのつながりを持っていることがわかる。

たとえば、直営店だからこそ、一見ムダに思えるゆったりした店づくりができて、一等地への集中的な出店も可能になる。また、スタッフに対する教育もゆき届いて、人間のサービスを介して第三の場所をつくりやすい。

しかし、直営店という要素だけ取り出してみると、一見して不合理である。なぜなら、フランチャイズ方式にしたほうが、ローコスト、ローリスクで多店舗展開がスピーディーに行えるからだ。それ自体では一見して非合理だが、戦略ストーリー全体のなかでは強力な合理性を発揮する。この二面性にこそ、クリティカル・コアの本質が秘められている。

誰にとっても合理的な違いだけでできている戦略ストーリーでは面白みにかける。「損して得取れ」ではないが、一見して非合理なクリティカル・コアをあえて組み込むことで、因果論理にひねりが加わる。そして「賢者の盲点」を突くような決定的なシュートのチャンスをつくる「キラーパス」を放つことができる。その意味で、クリティカル・コアは「起承転結」の「転」に当たる。

一見して非合理なクリティカル・コアが重要になる理由がもう一つ存在する。それは競争優位の持続性に関わる。競争優位を保つために従来考えられてきたのは、自社が保有する技術をパテントで専有するなど、「模倣の障壁」を設けて防御しようとする「防御の論理」であった(図参照)。

オリジナルのコギャルたちはヘアスタイルやメークの組み合わせなどで、微妙なメリハリやさじ加減を利かせていたのだが……。(Fujifotos/AFLO=写真)

しかし、このクリティカル・コアを組み込むことで、さらに高度な「自滅の論理」を働かすことができるようになる。ライバルのB社がA社の戦略を模倣しようとすることが、かえってB社の戦略の有効性を低下させる。その結果、A社の競争優位性が持続していくという論理だ。

ずいぶん前の話になるが、出張先の地方都市の駅前バス停で、当時流行していたコギャル・ファッションの女子高生3人と遭遇した。真っ黒に日焼けして、睫毛にマスカラをたっぷりと塗り、目の周りをアイシャドーで白くした女の子たちである。

でも、彼女たちのコギャル・ファッションはやりすぎで、本家本元の渋谷のコギャルが見たら、思わずたじろいでしまうのでは、というくらいアンバランスなどぎつさだった。そのことを指摘すると、「雑誌でコギャル・ファッションの研究をしているんだから間違いない」という趣旨の反論をしてきた。

オリジナルのコギャルたちはヘアスタイルやメークの組み合わせなどで微妙なメリハリやさじ加減を利かせ、スタイルの一貫性をつくっていた。しかし、それを事後的に模倣するだけでは、クリティカル・コアに当たるメリハリやさじ加減を理解できない。個別の構成要素に目がいくあまり、ヘアスタイルや日焼けなどのおのおののパーツが過剰になり、「自滅」を招いたという話である。