芸術は爆発か?

昔、予備校でおしえていた女性に、いっぷう変わった人がいます。2年か3年に一度、その人から「助川さん、こんど、お茶しません?」というおさそいのメイルが届きます。

その人は、アニメの製作会社で何年かはたらいたあと、フリーターをしています。アニメをつくっていた会社で同僚だった彼氏とふたり暮らしで、彼氏は私とおない年だそうです。

「彼がやってるのは、おもに原画を描く作業ですね。こまっちゃうのは、凝り性なんで、年をとればとるほど手がおそくなるんですよ。」

このまえお茶をごいっしょしたとき、その人はそういってため息をつきました。

「アニメの原画は、1枚描いていくらなんですよ。当人は『どうすればもっとよくなるかわかってて、はんぱなことはやれない』とかいってますけど、経験つんでうまくなってるのに収入が減るのは、見ててつらいです。それに、仕事の選りごのみがはげしくて、自信がもてるタイプの絵しか描こうとしなかったり。」

専門外のテーマについての講演や執筆を、深い考えもなく引きうけてしまう私は、もうしわけないような気分になりました。

「で、彼氏さんは、どういう絵の依頼ならオーケーなの?」

その人は、グラスの水をひとくち飲んでからこたえました。

「爆発です。『人間の顔なんて俺には描けない。じぶんで納得して描けるのは、爆発の絵だけだ』っていつもいっています。女の子の顔とか、よく頼まれるのに、ぜんぶことわっちゃうんですよ。」

なるほどねぇ。そう私がつぶやくと、その人はけげんそうな顔をしました。

「何が、『なるほど』なんですか?」

そのくちぶりには、

「本気でアニメつくってる人間の気持を、あなたはわかるんですか?」

という抗議の調子がありました。私は、なるべく声を落ちつかせて説明をはじめました。

「80年代にも、腕ききのアニメーターはたくさんいたけど、『この世をこえたすごいもの』が、アニメであらわされるようになったのは95年ぐらいからじゃないかな? 『この世をこえたすごいもの』を見せるのを、近代以前は『宗教』が担当し、近代になってからは『芸術』がやるようになった。つまり、アニメは90年代に、『芸術』とおなじことをやりはじめた……」

私が話すのを、その人は冷やかなまなざしで見ながら、水のはいったグラスを2度ふって、またひとくち飲みくだしました。私は不安な気持で先をつづけました。

「宮崎駿は、『この世をこえたすごいもの』をときどきアニメで見せてたけど、『確信犯』とはいえなかったと思う。そういうことを意識的にやりはじめたのは、『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明あたりからでしょう。爆発のまえに、一瞬の「ため」としての静寂をつくるとか、『エヴァ』のころから爆発の描写は大きく変わった。それとおなじ時期に、樋口真嗣の平成版『ガメラ』なんか出て、特撮の世界でも『この世をこえたすごいもの』を見せることがどんどんやられるようになった。」

私のことばがおわると、その人は下をむき、レモンスカッシュをストローですすっていいました。

「私の彼は、庵野さんが好きでアニメの世界にはいったんです。いま、新劇場版の『エヴァンゲリオン』の仕事をもらって、大喜びしてます。」

それを聴いて、深く納得しながら私はつづけました。

「これまで『宗教』や『芸術』がやってきた、『この世をこえたすごいもの』を提示することが、アニメや特撮でやれる――そういう感覚は、60代以上の人にはふつうないんだよ。反対に、あなたのような30歳になったばかりの人には、上の世代がもっているような『芸術』に対するこだわりがない。『俺はアニメや特撮をやって、『芸術』にしかできないことをやってる』という感動にふるえるのは、たぶん40代と50代の特徴なんだ。あなたの彼氏が、爆発を描くのにこだわってるのは、そのせいじゃないのかな。」

私のことばにじかにはこたえず、その人はこういいました。

「おない年だから、助川さんと彼、アニメの話をしたらもりあがると思いますよ。助川さんのお好きな『イデオン』とか『ビューティフルドリーマー』とか、彼氏も好きですし。」