1966年に静岡市で一家4人を殺害したとして、1980年に死刑判決が確定した袴田巌さんは、2014年に再審が認められて釈放された。ところが、2023年7月、再審に対して静岡地検は有罪立証を進める方針を示した。なぜ検察は有罪にこだわるのか。事件を追ってきたジャーナリストの樋田敦子さんが、弁護団の小川秀世弁護士と袴田さんの姉・秀子さんに聞いた――。
東京高等検察庁(写真=F.Adler/PD-self/Wikimedia Commons)
東京高等検察庁(写真=F.Adler/PD-self/Wikimedia Commons

検察は87歳の袴田さんを再び「有罪」にしようとしている

さる7月10日、いわゆる「袴田事件」で死刑確定後に再審開始が決まった袴田巌さん(87歳)の裁判で、静岡地検は、今後の公判で袴田さんの有罪を改めて主張すると、静岡地方裁判所に方針を示した。19日に行われた再審へ向けての3者協議(裁判所、検察、弁護団)では検察、弁護団の証拠がほぼ出そろい、次回9月の第4回3者協議で再審の期日など詳細が決まる模様だ。

袴田弁護団事務局長の小川秀世弁護士は「検察の意見書に書いてあることは、これまで東京高裁の確定判決で審理されてきたことばかりで、有罪立証のなんの役にも立たない。無実だとわかりながらやっていて、がっかりだ」と話す。検察の有罪立証の方針決定について小川弁護士に話を聞いた。

「袴田事件」は、1966年、静岡県清水市で(現静岡市)、みそ製造会社の専務の家が放火され、焼け跡から一家4人が殺害されて見つかった。そのとき従業員で寮に寝泊まりしていた元プロボクサーの袴田さんが強盗殺人罪などで逮捕され、公判で無罪を主張したものの、80年に死刑が確定した。

当時袴田さんが着ていたとされる5点の衣類は、事件発生から1年2カ月後に見つかった。すでに裁判が進められているときで、みそタンクの中から血のついたシャツなど5点の衣類見つかり、68年、これを有罪の証拠とし静岡地裁は死刑を言い渡している。

証拠とされた血のついたシャツのDNAは袴田さんと一致せず

弁護団は再審請求が棄却されたことを受け、2008年、第2次再審請求した。動きがあったのは14年、静岡地裁は、証拠の5点の衣類のDNAが袴田さんの血液型と一致しないことを理由に再審開始を決定し、袴田さんを48年ぶりに釈放した(DNAは被害者のものとも一致しなかった)。死刑囚の釈放は、これが初めてだった。

その後、検察は即時抗告し、東京高裁において地裁決定が取り消された。弁護団も特別抗告し、20年、最高裁は審理不十分で、高裁決定を取り消し、審理を高裁に差し戻した。

2年以上かけて審理を続け、23年3月、高裁は地裁の決定を支持し、再審を認める決定を下した。それまで袴田さんの有罪の決定につながっていた証拠の5点の衣類が、「捜査機関による捏造ねつぞうの疑いがある」とまで言及した。

再審開始は、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」があるときにのみ決定される。「1年以上みそに漬けられると血痕の赤みが消える」という弁護側の専門家の推測が証拠にあたるとした。