テルモ名誉会長 和地 孝わち・たかし
1935年生まれ。横浜国立大学経済学部卒業後、富士銀行入行。88年、同行取締役に就任。89年、テルモ常務取締役就任、95年社長、04年会長。11年より現職。テルモ社長就任後は全国行脚を敢行し、4000人以上いた社員一人一人を鼓舞。業績不振に苦しむテルモの再建を果たした。

日曜の午後、翌週の予定を頭に叩き込む

手帳は私にとって伴侶とでもいうべき存在です。いつも身近にあって、なくなると困る。先日3連休を利用して八ヶ岳に出かけましたが、うっかり手帳を忘れ、1、2日目はなんとかやりすごしたものの、最終日には手帳がないのが気になって仕方ありませんでした。

テルモ名誉会長
和地 孝

いつもは、毎週金曜日に秘書室長も交えて翌週の打ち合わせをし、日曜の午後に自宅で手帳を眺めながら次の1週間の予定をもう一度頭に入れるのが習慣になっています。家族には「休日なのに仕事の顔になっている」と叱られますが、こればかりは仕方ない。平日は分刻みのスケジュールなので、その場でいちいち次の予定を確認する暇はありません。だから前もって予定を頭に入れておくのです。

普段持ち歩いている手帳は、見開きで1週間分が俯瞰できる小ぶりのものですが、他に「10年日記」と手のひらほどの大きさのメモ用紙を活用しています。

10年日記は仕事を始めてまもなくつけ始めました。ときどき過去の記録を見直して、季節の変わり目の体調管理や、行事のタイミングを図るのに役立てています。メモにはスピーチの骨格を記したり、印象に残った出来事や読んだ本の内容など、後で会話やスピーチに使えそうだと思ったことを記録します。

最近では英国ロイヤルオペラの公演で「椿姫」を観に行ったときのメモが役立ちました。公演当日はプリマドンナが出演できずに代役が出演したのですが、その代役も突然アレルギーで声が出なくなり、第2幕から急遽代々役の出演となりました。そんなハプニングがあってもなお素晴らしい舞台でしたし、時間も予定通りに進行しました。

代理を用意するのは普通ですが、衣装なども含め、代々理まで準備をする周到さ。起こりうるさまざまな事故を想定して手を打っておくという、まさに高いプロ意識があったからこそ、一流のものを求めるお客の期待に応えることができたのでしょう。

この出来事が非常に印象的だったので、取締役会の冒頭の挨拶でさっそく使用しました。人の心に訴えかけるスピーチは導入部が大切です。いきなり「企業は顧客の厳しさを肝に銘じるべきだ」と話し始めても聞き流されてしまうでしょうが、オペラの例えのように印象的なエピソードがあれば、聞き手は身を乗り出してくる。記憶に残って結果的にその人の行動を変えさせる話にもなるのです。

企業経営に携わるうえで忘れてならないのが、異業種、異文化との接点を絶えず求め、視野を広く持つことです。

当社は2011年に90周年を迎えましたが、歴史にあぐらをかくだけで、新しいものを発想し、生み出そうとする気概を忘れてしまっては、そこに成長はありません。創業から扱っている体温計1つとってもまだまだ新たな可能性があるはずです。いちばん怖いのは、「これはこういうものだ」と決めつけて新しい発想を生み出せなくなることなんです。

私が帰らないと社員が帰りにくい

10年日記は毎日欠かさずつける。印象的な出来事は手のひらサイズのメモに記録。仕事だけでない「心の記録」が人生を豊かにする。

先日もわが社で上級職に昇進した社員を前にしてスピーチを行いましたが、そのときは富士登山で目にした風景について話しました。富士山も頂上に近づくにつれて植物が少なくなり、7合目ともなればあたりは瓦礫ばかりです。ところがそこにオトコヨモギという植物が見事に群生している。空気も薄くほかの植物が生育できない中で、その種だけが繁茂しているのです。

このように、厳しい環境で生き残るには多大な努力を要する半面、競争相手もなく繁栄の可能性も大きい。だからあなたたちもこれからは物事に覚悟して取りかかりなさい、新しいことを恐れずチャレンジしなさい、と話しました。

もちろん私自身も、日々新しい情報に触れることを心がけています。平日の夜はできるだけ異分野の方と会うようにしています。同業者や財界人に限らずさまざまな分野の人たち、例えば画家など芸術関係者などとも会います。異分野の方に学ぶことは多いですからね。

社内での仕事は原則6時まで、せいぜい6時半までと決めています。私が帰らないと他の社員が帰りにくいという理由もありますし、時間を有効に使いたいからでもあります。お客様との会食のほか、好きなオペラやクラシックコンサートの鑑賞にあてたり、絵を見に行くこともあります。