ジブリは『魔女の宅急便』後に解散するはずだった

こうして大ヒットとなった『魔女の宅急便』だが、宮﨑はこの映画の完成後、スタジオジブリを解散する心づもりだったという。宮﨑の持論の一つに「1スタジオで制作できるのは3作品が限度」というものがある。ある程度定まったスタッフでそれ以上制作を続けると、必ず無理が出るという考えだ。

一方、鈴木は「せっかくここまで作ったのだから、もう少し続けたい」と考えた。鈴木と宮﨑は話し合いを行い、最終的にスタジオジブリを継続することになった。

そこで宮﨑が提案したのが、新人の育成。これまでは1作ごとに解散する方法で、制作リスクは低いものの、新人を育てるような体制ではなかった。

その宮﨑の提案を受けて、鈴木はスタッフの給与倍増をさらに提案した。というのも、ヒットした『魔女の宅急便』だったが、完成後スタッフの給料が問題になっていたのだ。

『魔女の宅急便』の映画製作にかかった費用は4億円。製作費そのものはこれまでの作品よりも増えていたが、スタッフに対し、より複雑な作業が要求されるようになった一方で、支払い方法はアニメ業界の通例通り、絵1枚あたりの値段を基準にどれだけ描いたかで計算する「出来高払い」が採用されていた。そのためスタッフの平均月給が10万円という状況に陥ってしまったのだ。鈴木の提案は、これを倍の20万円まで引き上げたいというものだった。

出来高払いから固定給制度へ

こうして、ジブリ設立当初の「1本ごとに解散」という方針は大きく転換。

①スタッフの社員化、および固定給制度の導入。賃金倍増を目指す。
②新人定期採用とその育成。

という新たな経営方針の下、スタジオジブリは定期的に作品を制作していくことになる。1989年夏頃から、それまでジブリ作品に参加したアニメーターなどに連絡をとって、社員になることを誘ったという。

アニメーション業界では、「出来高払い」が主流で、固定給制度は非常に珍しい。また雇用の形態も、契約あるいは身分はフリーのままの常駐スタッフという就業形態が多く、社会保険なども整備されたジブリの社員化という制度は、アニメ業界にあってかなり大胆な決断だった。