野生の世界では数が多いほうが強い

人間には鋭い牙もなければ、イノシシのように速く走れる足もない。もともと自然界で、他の獣のような強い存在ではなかった。だから生き延びるためには、集団になる必要があった。

こうした遺伝子が生き残ったので、今も集団に入っていたい欲求がある。これが進化心理学という分野からの説明だ。

確かにある局面では、今でも人数が多いほうが強いと言えるのだろう。SNSなどで誰かと言い合いになった時は、加勢してくれる人がひとりでも多いほど力は格段に強くなる。

さらにSNSではフォロワーや友達の数が、はっきりと表示されている。それが多ければ多いほどいいような気がますますしてきてしまう。

けれどもここは野生の世界ではないのだから、友人の数が多いほど何でもメリットが大きいとは言えない。

大勢でワーッとなっている人たちを見ると負けた気がしてしまうのは、我々の古い脳がそう叫んでいるかららしい。

ユタ州の農村部で自由にギャロップ馬のグループのクローズアップ, 米国.
写真=iStock.com/georgeclerk
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世界的にも友だちが多い日本の子ども

そもそも仲のいい友人は、何人くらいいるのが普通なのだろう?

日本の我々が想定する必要な友人の数は、少し多めに設定されているように思う。「友だち百人できるかな」で有名な「一年生になったら」は、今でも幼稚園の卒園式で歌われる定番の曲なのだそうだ。

ある国際アンケートで仲のいい友人の数を聞いてみたら、日本の学校に在学している人では平均9.6人もいた。これは先進7か国のなかでも、しかもフルタイム労働者、アルバイトなど様々な立場の人の場合と比べても、飛びぬけて多い数字だった。

ちなみに「学校に通う意義」を聞くと、「友だちとの友情をはぐくむ」が日本では群を抜いて世界一多かった。他の国で多かったのは「知識を身につける」だったのに(※1)

日本の学校とはつまり、勉強よりも友だちのためにある場所なのだ。

それが「大勢でワーッ」に対する我々の感覚に影響していることは、十分にあり得る。