「日本人はしてはいけないことはしない」

エドワード・S・モースという、1877年に大森貝塚を発見したことで知られるアメリカの動物学者がいます。発見は発掘調査をともない、日本の考古学の先鞭となりましたが、ダーウィンの進化論を紹介して生物学を定着させた人物としても知られています。

モースは日本を気に入り、3度にわたって来日しています。研究の傍ら、関東だけでなく、北海道、関西、九州と日本中の風土を見て回りました。モースは日本での体験を1917年に、『Japan Day by Day(邦題/日本その日その日)』という著書にまとめています。

モースが来日中、最も感心したことは、「日本人は他人のものは盗まない。日本人はしてはいけないことはしない」ということでした。

「私は襖を開けたままにして出かけるが、召使いやその子供たちは、私の部屋に出入りこそするけれど、お金がなくなったことがない」と、たいへん驚いています。

また、モースがある女性医師と東京の街を人力車で移動をしている時のこと。道路の傍らで盥たらいに湯を張って裸で行水をしている若い女性に出くわしました。

モースは「オイオイ、あんなところで行水をしているぞ」と言って思わず見入ってしまいましたが、彼と女性医師を乗せた人力車を引いている車夫はまったくそちらを見なかったのです。

モースは「我が国では、特に車夫のような肉体労働に就いている男はたしなみがなく、裸の女とくればまずはじろじろと見てしまう。ところが日本人の若い車夫は一切、そんなことはしなかった」として、これもまた大いに感心しています。

世界で最も豊かだったイギリスの本当の姿

産業革命は19世紀の前半には成熟期に入り、その中心的存在だったイギリスは1870年代まで世界最大の工場国として君臨しました。当時のイギリスは世界で最も豊かな国だったはずです。

ところが国民の生活が豊かになったかと言うと、けっしてそうではなかったようです。

霧の都ロンドンの「霧」は、かつてはメキシコ暖流による湿度の高い空気から発生していたものでしたが、産業革命以後は工場の煤煙ばいえんを原因とする、いわゆるスモッグに取って代わられました。

古い工場からの暗い煙。
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工場から排出される煤煙や排水で環境汚染が進み、労働者は公害の街に住み、生産力の向上だけを追求する計画に組み込まれ、過酷な労働を強いられていました。