2020年に亡くなった元プロ野球選手の野村克也さんは、現役引退から8年後の1988年に「港東ムース」という少年野球チームを創設している。そこではどんな指導をしていたのか。長谷川晶一さんの著書『名将前夜』(KADOKAWA)より、一部をお届けしよう――。
野球のスイング
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「あの野村克也」が監督を務めるチームが誕生

目黒東リトルで克則とチームメイトだった稲坂祐史は興奮していた。

チーム内のゴタゴタによる分裂劇で誕生した港東ムースという新たな所属先が、自分の想像以上に強豪チームとなる可能性を秘めていたからだ。元々、チーム成績は低迷していた。低迷していたからこそ、監督の指導方針や、采配、起用方法に対して保護者からの不満が爆発したのだった。

しかし、今回のチームは「あの野村克也」が監督を務めるという。

現役時代には、王貞治に次ぐ歴代2位となるホームランを放ち、南海ホークスではプレーイングマネージャーとしてリーグ優勝経験を誇る実力者だ。テレビ解説における「野村スコープ」でおなじみのあの人が自分たちの監督となるのだ。祐史の胸は高鳴っていた。

彼が決定的に野村に対する信頼感を強めたのは、多摩川グラウンドで野村の神がかり的なバッティングを見たときだった。チームができてすぐ、野村は選手たちに言った。

「いいか、バッティングの見本を見せてやる」

野村克也氏
野村克也氏(写真=Nomura19/PD-self/Wikimedia Commons

子供の前ですべてのボールをホームランに

それまでは自ら打席に立つことなどなかったのに、野村は金属バットを持って打撃ケージの中に入っていく。その一挙手一投足に、選手たちは熱い視線を送る。

バッティングピッチャーがストレートを投じると、白球はあっという間にはるか彼方へと小さくなっていく。少年たちの間から、「おぉ……」と感嘆の声が漏れる。

続いて投じられたボールも、野村はいとも簡単に打ち返した。その次の球も、そしてその次の球も……。百発百中だった。すべてのボールを野村はホームランにしたのだ。

祐史は心から感動していた。

(この人の言うことを聞けば、絶対にうまくなるだろうな……)