医者から言われた言葉、年内死亡確率98%

3回目は49歳のときで、一番「死」を身近に感じる手術を受けました。移動する際、ちょっと歩いただけで、「なんか息苦しいな……」と思って病院に行ったら、急性心不全と診断されて強制入院。どうやら、仕事している中で、溶連菌に感染してしまったみたいなんです。

3回目の心筋梗塞でバチスタ手術を受け、入院したケイ氏。手術は6〜7時間にも及んだ。医者からは、「このままだと年内死亡確率が98%だね」と告げられるも、その年の大晦日には『Dynamite!!』のリングアナウンスに復帰した。
3回目の心筋梗塞でバチスタ手術を受け、入院したケイ氏。手術は6〜7時間にも及んだ。医者からは、「このままだと年内死亡確率が98%だね」と告げられるも、その年の大晦日には『Dynamite!!』のリングアナウンスに復帰した。

心臓の病気をしている人が溶連菌をもらうと、弁がやられてしまうみたいで、心臓から体に血液を送り出そうにも、普段の3分の1ぐらいしかプッシュできない。だから、病院に行く直前は、10メートル歩いただけで顔面蒼白になっていましたし、当時は『DREAM』のリングアナをやっていたんですが、貧血症状が出て、10試合中3試合しかコールができないということもありました。ならもっと早く診察に行けっていう感じなんですが(笑)。

それで、医者から「このままだと年内死亡確率が98%だね」なんて脅されて、6〜7時間ぐらいかけてバチスタ手術をしまして、無事に成功しました。僕のレギュラー番組でも、周囲の人たちにも詳しい病状は伝えてなかったんですが、兄貴と慕う鈴木雅之さんや、ブラザー・コーンさんなど、仲のいい人たちがお見舞いに来てくれたり、リスナーから励ましのメッセージをいただいたりして、本当に嬉しかったですね。特にコーンさんから言われた言葉で覚えているのが、「東京のタレントってのは、病気を明かして芸能活動をするもんじゃないんだよ」って言われたこと。それは、今でも心に深く刻み込まれている言葉です。

その年の大晦日に開催された『Dynamite!!』のリングアナウンスでは、元気な姿を見せることができました。復帰するにあたっては、ひとつ大きな原動力になることがありまして、音楽事務所「ビーイング」の長戸大幸さんの弟さんでもある秀介さんから「歌手デビュー」の話をもらっていたんです。カフェで話していたら「ケイ、おまえいい声してるな、歌えよ」って。何より、手術が成功して一番はじめに喜んでくれたのが秀介さんだったんですよね(その後10年に歌手デビュー)。

とまあ、しばらく調子がいいかなと思っていたんですが、すぐ翌年に4回目があったんですよ。自宅で風呂上がりにテレビを見ていたら、急に目の前がブラックアウトして倒れちゃって。本来なら、これまで診てもらっていた心臓血管研究所に行かなければならなかったんですが、僕に意識がない状態だったので、総合病院に運ばれちゃったんです。

あとから妻に聞いたんですけど、運ばれている途中に一瞬パッと気がついて、「至急心臓血管研究所に行ってくれ!」って言ったみたいなんですよね。なので、次の日の朝には、ちゃんとそっちのベッドにいました(笑)。原因は心室内細動によるもので、問題の部位が深いために外からAEDを使っても作動しないんです。だから、体内にICD、いわゆる埋め込み型の除細動器を入れなきゃいけなかったんです。何度かモデルを入れ替えて、いまでも体内にあるわけですが、細動を感知したら、突然「ドン!」と来るんです。

これが痛くて、最初はいつ来るのか憂鬱な気分になっていましたね。ちなみに4回とは言ったんですが、その後もいくつか出来事があって、16年に、bayfmでレギュラー番組の『低音レディオ』が始まって数カ月経ったぐらいかな。夏に記録的な大きさの台風10号が上陸したんです。その気圧の変動のせいで、細動が頻繁に起きちゃって最高1日35回も「ドン!」って作動しちゃって。結局、心臓の機能を半分殺そうという流れになって、溶接みたいな感じで、7カ所くらい焼いたんですよ。最終的には、30カ所以上悪さしていたところを焼いたんですよね。

その年の後半は、病院とラジオ局を往復する生活をしていましたが、今では懐かしい思い出ですね。あと、3度目でバチスタ手術をした際に、2リットルほど輸血をしたんです。それが原因なのかは不明ですが、白血病になっちゃいまして。こいつが結構厄介で、疲れやすくもなるし、いつ急性転化するかもわからない。子どもたちには、もしかするかもしれないから、強くいてくれよと話していました。ただ幸い、自分に適応する薬が見つかったというのもあり、ここ4年間、白血病の細胞は未検出で、「寛解」には至っています。