心筋梗塞で4回死にかけた男がたどりついた最高の生き方

2回目の心筋梗塞はICUで心肺停止

ケイ・グラントさん(ラジオDJ)

僕はこれまで、大きな心筋梗塞を4回経験しています。最初は1993年、34歳のとき。結婚して1週間後のことでした。

ラジオDJ ケイ・グラント氏
ラジオDJ ケイ・グラント氏(藤中一平=撮影)

自宅で寝ていたら、朝5時ぐらいに胃の裏をヤスリでジャリジャリとこすられるような痛みを感じて目が覚め、妻に救急車を呼んでもらい病院へ。最初は「胃が悪いんだろうな」と思っていたんですが、心臓の裏側の血管が詰まっているということで、カテーテル治療を行うことになりました。

当時は本当に働き盛りで、FMラジオ・TVを含め7本のレギュラー番組があるうえに、映画のトレーラーを一日で33本収録することもありました。ちなみにそれは、「33時(朝9時)上がり」となっていましたね(笑)。そんな、ほぼ睡眠時間がないような毎日だったので、ストレスの反動で強いタバコを吸ったり、朝まで、時には仲のいい力士たちとお酒を飲みまくったりして……体が悲鳴を上げたということでしょう。

それまで大病を患ったこともなかったし、水泳もボディビルディングもやっていたから、「自分は人より体が丈夫にできている」という思い込みもありました。だからいざ病気になったときは、ショックが大きくて。番組もクビになることを覚悟していたんですけど、ありがたいことに、みんなが待っていてくれて。幸い復帰までは1カ月と、さほど時間はかかりませんでした。

そこから生活習慣も見直して、比較的“良い子”にしていたんですが、7年後にまた心筋梗塞になってしまいましてね。それが2000年、41歳のとき。人から名前と顔を知ってもらうことも増えた、格闘技のリングアナとしてデビューする4カ月前だったんですよね。本当に病気のタイミングが悪い(笑)。

これは正月、僕の誕生日も重なって食べ疲れしたので、うちの弟が経営するスイミングクラブのプールで、体をリセットするため泳いでいたんです。そしたら突然「カチン」という音が体の奥で鳴ったんですよ。同時にアイスピックで刺されたような鋭い痛みが襲って、弟に「救急車を呼んでくれ」と言いました。

ただ、ピンピンしているように弟からは見えたんでしょうね、「えっ、そんな元気そうなのに呼ぶの?」と言われたんですが、「いいから早く呼んでくれ!」と。案の定、病院に運ばれたら、ICUで一時は心肺停止状態。心臓の中でも大事な血管が詰まっていたようで、元総理の大平正芳さんが僕と同じ部位の心筋梗塞で亡くなったぐらい。

ただ、1回目の手術から7年の歳月を経て医療技術が発展していまして、ステント(ステンレスなどの金属で作られた医療器具で、血管を広げた状態を保つ)を入れたら回復に向かっていってくれて、結果2週間で退院することができました。