徳川家康の古参の家臣である石川数正はどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「長年、内政だけでなく軍事面でも家康を支えた忠臣だ。最後には家康を裏切り、豊臣秀吉のもとに出奔するが、それも徳川家の将来を案じるあまりの行動だった」という――。

徳川家康と石川数正の特別な関係

大河ドラマ『どうする家康』でいちばん存在感を放っているのは、松重豊演じる石川数正だろう。

映画『アウトレイジ ビヨンド』のジャパンプレミアに出席した松重豊さん(=2012年9月18日、東京都千代田区のイイノホール) 
写真=時事通信フォト
映画『アウトレイジ ビヨンド』のジャパンプレミアに出席した松重豊さん(=2012年9月18日、東京都千代田区のイイノホール) 

初回からずっと近くを離れずに仕える忠実な数正に、まだ若く優柔不断な徳川家康が頼りきっているのがよく伝わる。キャスティングテロップで名前が最後に紹介されることからも、本篇後の紀行コーナーでは松重みずからナレーションを務めていることからも、石川数正がこのドラマの準主役であることは明らかだ。

とりわけ家康の正妻で、有村架純が演じる瀬名こと築山殿を駿府(静岡)の今川氏真のもとから奪還する際、今川陣営に命がけで乗り込んで交渉し、殺されそうになりながらも、彼女と子供たちを無事に連れ戻した姿は感動的だった。

なにしろ、家康が今川義元のもとで人質になっていたころから、随行者の筆頭として近侍していた数正である。生年は不詳だが、家康よりも少し年上だったと考えられ、その後も家康は数正を懐刀として頼りにし続けた。

なぜ忠臣は家康を裏切ったのか

たとえば、第8話は「三河一向一揆でどうする!」(2月26日放送)だったが、まさに「どうする」という立場に置かれていたのが数正だった。

年貢を支払わない一向宗(浄土真宗)の本證寺ほんしょうじから、家康が年貢を取り立てようとしたところ、一向宗門徒たちは三河各地で蜂起し、一向一揆が頻発してしまう。じつは、その際に家康の家臣団からも、一向宗門徒の武士を中心に一揆側につく者が多数出たから大変なことになった。

とりわけ石川氏一族は本證寺の門徒団の中心で、数正の祖父の清兼は、三河の一向宗門徒の総代のような立場だった。だから、一族の多くが一揆方に組することになったが、数正はわざわざ浄土宗に改宗してまで、家康への忠誠を尽くしたのだ。

それだけに、数正がその後、家康を裏切って出奔したという史実が、重く感じられるのである。