信玄と戦う以外の選択肢はなかった

こんな混乱状況だったこともあり、家康も馬上で糞を漏らしてしまったといわれる。すると、重臣の大久保忠世はこれに感づき、主君をねぎらうどころか、「殿が糞を垂れて戻ってきたぞ」と大声でゲラゲラと笑う始末だった。

河合敦『徳川家康と9つの危機』(PHP新書)
河合敦『徳川家康と9つの危機』(PHP新書)

おそらくこの話は、後につくられたフィクションだろうが、こうした素行のよくない連中のまえで、戦わずして尻尾を巻いて城中で震えていたら、家康は譜代にさえ見限られたはず。つまり、この一戦にお家の存亡がかかっており、家康は武田の大軍と戦うしかすべはなかったのである。

しかしながら、明らかに敵は大人数ゆえ、さすがに家康も正面から衝突するつもりはなかったはず。

とりあえず矛を交えて己の勇敢さを内外に示し、巧みに敵を翻弄ほんろうしつつ浜松城に入り、籠城して味方の後詰めを待つつもりだったのではなかろうか。

にもかかわらず、武田の大軍と激突してしまったのは、家康の制止を無視して敵に突入してしまったダメな家臣たちのせいだった。

幸福の女神が微笑んだ

結果、家康は生涯最大の惨めな敗北を喫し、遠江を中心に多くの武将が武田方に寝返っていった。おそらく、何もなく時が進行していたら、家康の領地は信玄に併合されてしまった可能性もある。

だが、信玄が危篤に陥ったのである。肺結核とも胃癌ともいわれるが、病名は定かではない。

そして4月12日、信玄は伊那駒場(長野県下伊那郡阿智村駒場)で死亡したとされる。53歳だった。いずれにせよ、家康は信玄の死によって、命拾いしたのである。

今度の危機は己の努力で乗り越えたわけでなく、幸福の女神が家康に微笑んでくれたおかげだった。

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