「徳川家康の名言と言われる“人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし……”は本人の発言ではなく偽造」「家康と家臣は、人質時代に今川家から抑圧されていたという話を作り上げ、今川への“裏切り”を正当化した」「嫡男信康切腹事件で織田信長が命令したという一次史料はない」……ベストセラー本『応仁の乱』でお馴染みの歴史学者・呉座勇一氏が大河ドラマで話題の徳川家康を暴く! 1月27日(金)発売の「プレジデント」(2023年2月17日号)の特集「徳川家康、長生きの秘密」より、記事の一部をお届けします――。
家康の名言は偽造だった!
徳川家康には「我慢の人」と「タヌキ親父」というイメージがあります。「我慢の人」で、すぐ思い浮かぶのは「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず」の名言でしょう。しかし、これは家康の言葉ではありません。
明治時代に旧幕臣の池田松之助が、水戸光圀の遺訓と伝わる「人のいましめ」を基に偽造したもので、広まったのは日光東照宮など、各地の東照宮に納めたからだとされています。また、この名言の起因となったのは、幼少期の家康が人質として今川家で苦難の日々を我慢しながら送ったというエピソードで、源流は大久保彦左衛門(家康・秀忠・家光三代に仕えた譜代家臣)の『三河物語』に行き着きます。
しかし、今川義元は姪の築山殿と家康を結婚させて一門に加え、今川家を支えていく重臣にするつもりでしたから、むしろ丁重に扱われていたのです。ところが桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、家康は織田信長と和睦し、今川方の城を攻撃して、三河を平定。最終的には武田信玄と同盟して、今川氏を滅ぼしました。普通に考えれば「恩を仇で返す」ものにほかなりません。