坐禅は40分だが、15分もすると足が痛くなってきた。このままだと終わったときにはしびれて動けなくなるかもしれない。と、今度は股のところが痛い。永平寺では下着は柔らかい生地のブリーフタイプで参禅したが、ここでは夏とあって、かたい綿のトランクスタイプを穿いてきた。それが尻の下で引っ張られて、股がすれて痛いのである。やがて股の痛みは耐えがたいほどに強くなった。我慢の限界を超えたとき、私は覚悟を決めた。坐り直して体勢を整えるしかないのである。

そう、そのためには警策を入れられるしかない。

直堂が後ろに近づいてきた頃合いを見計らって、素早くトランクスを引き下げ坐り直すと、すぐさま合掌(がっしょう)した。

何も起こらない。一瞬、気づかれなかったか、と一安心した。と、スースーッと直堂がすり寄ってくる気配が。そして警策がやさしく右肩に置かれた。薄暗い空間で背後に立つ人影だけ。なんとも不安な状況だが、ここは身をまかせるしかない。

直堂から警策を入れられる藤原氏。警策を打つ力は修行僧と一般人の参禅者でも全く同じだという。

私は首を左にやや曲げ、上体を心持ち前に傾けて警策を待った。

パシーン。

痛みより音に驚いたが、すぐに合掌したまま壁に向かって頭を下げる。姿勢をまっすぐにして坐禅にもどる。ジンジンと肩にしびれのようなものが広がっていく。が、それほど痛みはない。むしろ肩こりがとれるような、ちょっとした快感を覚えた。警策を入れられたあとの「爽快感」というのはこのことか。

その後はあっという間に時がすぎていった。鐘の音が堂内に静かに流れ、それを合図に坐禅は終了した。