2012年6月8日(金)

1993年11月7日――。鎌倉・鶴岡八幡宮から歩いて5分ほどの「岐れ路」バス停の前にあるコンビニの2階で、16坪の小さな店が産声をあげた。

メーカーズシャツ鎌倉会長
貞末良雄
1940年、山口県生まれ。千葉工業大学電気工学科卒業。電機メーカーを経て、66年ヴァンヂャケット入社。統括本部長だった78年に同社倒産。スーパー、アパレル会社を経て、93年にメーカーズシャツ鎌倉を設立。その後、横浜ランドマーク店など支店を開設する。

「百貨店で買えば1万円以上はする」とアパレル関係者の誰もが太鼓判を押す高品質のワイシャツを、この創業時から税込価格5145円で販売し続け、前年度に約21億円の売上高を達成したメーカーズシャツ鎌倉の1号店だ。(※雑誌掲載当時)

しかし、鶴岡八幡宮の近くといっても観光ルートからは完全に外れ、住宅街のとば口といってもいい場所だ。創業者の貞末良雄会長は「手持ちの金は1300万円しかなく、人通りの多い場所に店を構えられない。人を雇う余裕もない。まさに“ないないづくし”の状態だった」という。だから、自宅から鎌倉駅まで毎朝通勤で乗るバスの中から見えた「事務所貸します」というコンビニの2階で我慢せざるをえなかったのだ。

当時、あるアパレル会社の立て直しを手伝っていた貞末会長は、店での販売を妻である民子社長一人に任せ、自分はシャツの企画・発注に専念。オープン当初こそ友人や知人がご祝儀の意味も含めて買いにきてくれたものの、それもすぐに途絶える。

「1日に3枚売れれば家賃が賄えるはず」であった計算は、「3日に1枚売れる程度」へ大きく狂う。普通の人なら夜逃げをしたくなる状況だが、貞末会長には微塵の迷いもなかった。

「前に読んだ本に『驚愕のマーケティング』という言葉があった。こんなにいいものが、この値段で買えるのかと驚くような商品をつくれば、事業は成功するという考え方だった。自分たちのシャツのよさわかってもらえれば、絶対に売れると信じていた」

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